前からちょくちょく書いていたように

うちの愛犬の1匹が病気で調子が悪かった。

悪かったと過去形なのは今日の午後に天寿を全うしたからである。


ここ数日は朝病院に預けて透析を含む治療をしてもらい、

夜に引き取りに行くという生活が続いていた。

本来であればずっと預けておいて治療に専念してるほうがいいのだろうが

入院した団塊であまり先が長くない状態だったため、

夜ぐらいは家族と過ごしたほうが良いだろうとのことで

連れて帰る許可を貰っていた。

今日も朝に連れて行って預けていたわけだが、

4時半過ぎだっただろうか電話がかかってきた。

ようはそういうことである。


姉は仕事で居ないので仕事から帰ってきた父親と母親の3人で迎えに行った。

そこには動かなくなり、そして冷たくなった愛犬が居た。

過去に2度自分の親族を亡くしているが、

同じ家に住む家族を亡くしたのはこれが始めてだ。

祖父や叔父を亡くした時も言葉では言えない悲しさがあったが

今回はそれ以上だ。


病院で泣いている両親を見て自分だけは泣かずに気丈に振舞おうと思っていたが

やっぱりそうはいかないものだ。

嗚咽を伴うような泣き方はしなかったものの、

堪えきれない涙が流れる。


しかし泣いてばかりいるわけにもいかないので

堪えて先生から色々と話を聞かせてもらった。

とりあえず両親が落ち着くまでは自分がしっかりするしかない。


苦しみながら死んだわけじゃないということが聞けてよかった。

病気で通院しているから苦しくないわけは無いが、

のた打ち回るような痛みや苦しみの中で死んだわけじゃないだけでも救いだ。

人であれ動物であれ家族がそういう状況の中で息絶えるのは

残された身としては辛いものがある。


あと今朝方妙な行動をしたことを聞いてみた。

自分は見たわけじゃないが今朝はいつもと違う行動をしていたらしい。

もう動く元気も無い状態だったのに、

起き上がり母親や姉の顔を見て尾を振っていたそうだ。

思えばそれは最後の別れだったのだろう。

先生曰く、死ぬ直前に鳴いたりとそういった行動をすることは多々あるらしい。

動物は自分の死期を悟るという。

あいつも何かを悟っていたのかもしれない。

これは家族の、飼い主の勝手な想像に過ぎないが

きっと何かを告げていたのだと思いたい。


うちに来た2匹の犬。

最初はペットだった。

ただの犬に過ぎなかった。

しかし共に生活するうちに2匹とも家族になった。

血の繋がりも生物として種が違うのも関係無い。

たしかにそれは家族だった。

自分にとっては弟のような存在だった。

12歳と5ヶ月の命。

自分の人生のおよそ半分を共に過ごした家族だった。


その家族を失う悲しみとは言葉に出来ないものがある。

だが命である以上いつかは別れが来る。

それは人でも同じだ。

家族も友人もいつかは別れが来る。

それが自分の死をもっての別れなのか、

相手の死をもっての別れなのか。

それはわからない。

だがいつかは必ず別れが来る。

それは分かっていたし覚悟もしていたつもりだった。

だけどやはり耐え難いものがある。

自分のうちから出る感情を止めることができない。


ただ泣いて悲しんで分かれるのは嫌いだ。

悲しい別れだからこそ俺は笑って分かれたい、送り出したい。

涙と泣き声で分かれるのは悲しすぎるから。


明日、火葬場で焼いてもらうがその時は笑って笑顔で送り出そうと思う。

それが自分に出きるせめてもの手向けだと思うから。


俺は共に過ごした日々を忘れない。

この自分の命尽きるまで忘れない。


最後に、ありがとう。