この前の金曜(9月25日)は静岡がんセンターで

乳頭乳輪の色付け(タトゥ)をしたあと

デイルーム女子会メンバーAさんのお通夜に脚を運んだ。

 

私はAさんの年齢を知らなかった。

Aさんに限らず、ほとんどのメンバーの年齢を知らない。

デイルームで出会ったがん友の年齢はかなりの幅があると思うが

髪の毛がなくて年齢不詳の人が多いのもあるけど、

共に「がん」である仲間という点で一気にうちとけ

年齢職業などの立場なんてまったく

気にせず和気あいあいとやっているからだ。

こういう付き合いって私ははじめてかもしれない。

 

会場について知ったAさんの年齢は

想像していたより少し若くて

私より3歳年上なだけだった。

 

二年闘病して52歳で亡くなってしまったAさん。

会場にはその早すぎる死を悼む人達の悲しみで包まれていたのだけど、

その空気を汲んでか和尚さんが読経のあとされたお話しが心に染みた。

 

52歳なんて若すぎる、みなさんそう思っているでしょう。

私自身もそう思います。

でも、仏の教えで言うなればこの方は

生まれてくるときから52歳の命という

お役目をもって生まれてきていて

決まっていたことなのです。

この決められた命を最後まで全うして生きた

この方は大変尊い方です。

 

今会場の皆さんからは故人の若さを悔やみ

悲しみに包まれている様子が伝わってきています。

なんで悲しいのか

それはこの方から皆さんがいろんなものを受け取ってきたからです。

多くのものを頂いたから悲しみが深いのです。

 

皆さんがこの方の恩に報いるのには

それぞれが与えられた命を最後まで全うすること

あの世で再会した時、自分も精一杯生きたよ

と伝えられるようにしましょう。

 

要約するとこんな感じだったのだが、

その時の私の気持ちにジャストフィットして

私の悲しみも少しだけ癒えたような気もした。