激動の年末年始①の続きです
(①はこちらからどうぞ⇒★)
昨年12月に入った会社が合わなくて悩み
軌道修正は早い方がいいと決意して
仕事納めの日(27日)に退職願を提出しました。
会社を辞めることは母には相談していて
事前に伝えていたのですが、
父には正月休みの間に折をみて話そうと思っていました。
しかし、その日帰ったら父から「仕事はどうだ」と聞かれ
流れでその場で伝えたところ大激怒。
父は教師で、父の兄弟も農家をついだ兄以外は
皆公務員になっていることもあって、超安定志向の人。
零細企業に務めたり、フリーランスや会社をやったり
と職を変えてきた富士子とはそりが合いません。
そんな父からしたら、初めて娘が安定した大企業で
地元でも名の通っていて納得できるところに
に務めてようやく安心できたのでしょう。
それが、一か月で辞めると聞いて唖然。
しかもその理由、
『数字を入れ替えて読んでしまう癖があって
20桁の顧客IDを入力しないとならない
今の仕事が向いてない』
と伝えても理解できず
「眼が悪いなら医者に行って直してこい」と
ますます激怒。
実は父から出ていけと言われたのは
今回が初めてでなく、
実際に家を出て一人暮らしいしていた期間もあれば、
言われてもやり過ごしていたこともあります。
今回も「出ていけ」と言われるのは
ある程度想定内でしたが、
今回はいつも以上の大荒れで
勘当までされてしまいました。
でも、そのお陰で、富士子もこの先のことを
真剣に考えることがでました。
ここまで立て続けにいろいろ起こると
天から何かサインというか
今後の事をちゃんと考えなさいと
言われているような気がしました。
実は今の仕事をやめたら
病気療養中に働いていた惣菜店に戻るつもりでした。
以前は半日パートだったけどフルで働けば
今度は店で社会保険にも入ってもらえます。
実家にいればそれで充分暮らしていけましたが、
1人暮らしをするとなると、カツカツです。
それより今の職場に勤めながら
一月中に部屋を探して引っ越すなんて
気力体力的に無理。
いや、それだってやろうと思えば
できなくないかもしれません。
でも、地元にいる限り、
今までと変わり映えしないと思いました。
実家に荷物を取りに行ったそのついでに野菜をもらってきたり、
挙句の果てにはご飯食べて泊まってきたりしていました。
それで結局、父から「家賃がモッタイナイから帰ってきて貯金しろ」と言われて、
自営の仕事が大変になり金銭的に厳しくなると
甘えて戻ってきてということをやっていたのです。
そして家にいたり、地元にいる限り
父からはいろいろ言われ続けます。
今回の就職も早く働き先を見つけないと
父にまた何か言われそうで
焦って決めた部分も多少はあったと思います。
そういう今までの循環を一度リセットするとしたら
地元を離れるのも一つの選択肢ではと思いました。
今まで実家にいると楽だからだけでなく
長女だから家や親をみなくては
とも思っていましたが
そういう自分の思い込みや縛りから
一度自由になってして
今後の半生を模索してみよう。
これは親がまだ元気で自分も50歳直前の今が
チャンスかもと思えてきました。
実は以前から興味を持っていた仕事がありました。
ゲストハウスの仕事です。
旅行が好きで、ゲストハウスをよく利用するのですが
そこで訪れる人達と交流しながら
長期滞在してみたいと思っていましたが、
アラフィフ富士子の乳がん治療と今後の人生模索するこのブログ
思わぬ展開で富士山のふもとから舞台は伊勢に変わります。
どういう形になるかわからないけど
アマテラス大神のおひざ元で
これからも何らかの発信は続けていきたいです。
でもその前に今の仕事をちゃんと務め上げて
家をきちんと出ること。
父は早くも勘当を撤回して
「家においてやるからちゃんとした仕事を探せ」
と言ってきています。
ゲストハウスの住み込みの仕事は
父にはまた理解できないことでしょう。
分かってもらえるとは思えないけど
誠意を尽くして説明して
家が嫌だから出ていくのでなく
自分のこれからの生き方を変えるために
前向きに出ていくことと今までの感謝を伝え
気持ちの良い旅立ちをしたいと思っています。