昨日のブログで書いた先週末に新しくできた
男性がん友Tさんから昨夜メッセージが来た。
Tさんはがんの罹患から5年経っているが
最近あごに気になるしこりができたので
検査したばかりと聞いていたが、
その結果についての報告だった。
しこりが良性か悪性かどうかの判定が
5段階あるうちの「3」で、どちらとも言えないので
もっと詳しく調べるために切除してサンプルを取ることになったそうだ。
それがはっきりしないモヤモヤ期間が
延ばされるのはさぞかしツライだろうと思う。
でも、良性である可能性も同じ位されていることはよかった。
[良性であること祈ってます]と返事をした。
日曜日に一緒に蒲原宿に散策に行った
がんセンターのデイルーム女子会仲間のIさん。
今日から抗がん剤治療で入院の予定が
白血球の数値が低くて投与できなかったそうだ。
明日、この前の入院手術の診断書を受け取りにがんセンターに行くので
そのついでにデイルームに遊びにお見舞いにいくつもりでいて
「またすぐ会えるね」と言って別れたのでわざわざ連絡をくれたのだった。
Iさんはこの前も数値が低くてできなかったのでこれで2回連続となる。
白血球の数値が低いのに街歩きに出てきて大丈夫?と尋ねたら
本人的には何も体調の変化を感じていないのだという。
日曜もとても元気だったから今回もダメだったのが富士子からみても不思議だ。
「本当に自分では何ともできないのが歯がゆいです」と
メッセージに書いてあったが、
白血球の数値は何に注意したら上がるとかそういうものはないらしい。
富士子も手術の後傷口から出てくる体液の量が規定値以下に
なかなか下がらず退院予定が大幅に伸びた時に
これはベットで大人しく寝ていないで
ウロウロしすぎているのが悪いのか?
水分を取りすぎているせい?と思って、
先生や看護師さんたちに聞いた。
「そうではない」と言われ安心したものの、
歯がゆかったことを思い出す。
自分の身体のことなのに、自身でコントロールできないこと、
努力のしようのないこと、努力してもそれがおよばないこと、
そういうことがたくさんある。
前々から薄々感じてはいたけれど
「がん」になって改めてこの事実をかみしめる機会が増えた。
食事や睡眠、運動、ストレスに気をつける
できる努力はもちろんした方がいい。
でも、自分の努力でどうにもできないのなら
あとは天に委ねて祈ることしかできないのだと思う。
「平静の祈り」と呼ばれている
ラインホールド・ニーバー神父の言葉を最近よく思い出す。
変えることのできるものについてそれを変える勇気を
変えることのできないものについてはそれを受け入れる冷静さを
そして、変えることのできるものと、変えられないものをと
識別する賢さを我に与えたまえ
どうにもできないことに必要以上に囚われすぎると
こころの健康まで余計に損なってしまう。
そのためにも「変えられること」と「変えられない」ことを
識別する賢さが欲しいと切に思う。