2019年3月6日

静岡がんセンターで2回目の乳がん手術をしたのが

先月6日なので今日でちょうど一か月たちました。

 

昨年11月の1回目の時は右乳房部分切除だけということもあり

術後は傷の痛みより、いろんな管につながれ

ベッドで身動きできないことの方がつらかった。

 

そんなこともあって少し舐めていた2回目の手術でしたが、

全摘した上に再建の第一ステップである

ティッシュエキスパンダー挿入で傷口に異物を入れ込んだ訳なので

もう前回とは次元の違う痛さが衝撃的でした。

 

皮膚や筋膜を伸ばすためにエキスパンダーに水を追加すると胸が張る感じがしたり

以前は楽々持てていたミカン山盛りに入れたコンテナが持てなくなるなど

多少の変化はあるものの、日常生活では困ることはほぼなくなりました。

 

でも一か月前は

手術をしてない左側の手を母がさすってくれても

それが傷に響いて痛いので「やめて~」って感じ。

翌日以降、傷の猛烈な痛みが治まってもしばらくの間は、

腹筋を使うと傷に響くのでベッドの背もたれを上げ

脚を下におろして左側の肘をついて身体を起さないと

起き上がることができませんでした。

 

手術を終えたあとの痛みで眠れぬ長い夜、

フッと思ったことがあります。

 

『今もし火事が起こったらどうしよう、

いつもなら走って逃げられるけど今は無理。

運が悪かったと思って焼け死ぬしかないな~』

 

万が一発生してもスプリンクラー設備とかしっかりしているし

避難する場合もベッドごと連れて行ってくれたと思うのだけど、

痛すぎてくだらない妄想していたものですね。

 

最近思うのです。

「がん」になるならないは、生活習慣、体質や遺伝的要素もあるけど

2人に1人が一生のうち「がん」になると言われている今

それは確率の問題であり、どっちに入るかも運次第ではないかと。

 

富士子はマンモグラティーでは腫瘍が発見しにくいとされている

高密度乳房であったにもかかわらず見つかって

医者からも「運がいい」と言われたけど、

これもレントゲンの角度一つで見え方変わってくる微妙なものらしいです。

定期健診の時のマンモグラティーで異常が見つかったので

再検査でもう一度マンモグラティーをやったのですが

そちらの方では出てこなかったそうです。

でもエコーもやったので確定できたのですが。

 

「がん」になるならないも、発見が早期かそうでないかも、

「がん」が見つかった時に画期的な薬や治療ができるようになっているかどうかも、

ある意味で「運」、乱暴な言い方だけどそう感じています。

ここのところ親しく話をしたがん仲間にこのことを話したら

みな「そうだね」と同感してくれました。

 

宿命は変えられないけど運命は変えられると言われています。

がんになったことは宿命で、避けれられないことだだったとしても、
この事実をどうとらえ、どうするかでその後の運命が
変わってくるのだと思うのです。
 
がん患者の方が病気になって今まで気づかなった幸せに気づけた
生き方を真剣に考えられるようになったなどの理由で
「がんになってよかった」と言うのを聞くと、以前は
やせ我慢的要素も入っているのではと思っていたことも正直ありました。
でも今、当事者になってみて、それは本心から言っていたことだとわかりました。

 

運悪く「がん」になってしまったけれど、

あの経験があったからこそ今がある

「長い目でみたら運が良かった」と言えるようになりたい。

そのために今何をすべきか、あえてしないでおくか

考えながら今日も過ごしています。

昨日家の畑で積んできた野菜の花や野の花

何気ない草花の美しさを以前より感じられるようになりました。

白はスナップエンドウの花

紫はホトケノザ

黄色は菜の花と思いきや蕪の花です