2019年2月25日、鎌倉散策2日目

東京で暮らす8歳離れた下の妹が今日は仕事が休みだからと出てきたので

一緒にランチして散策することができた。

 

この妹は短大で東京に行ってからそのままそこにいる、結婚はしていない。

(うちの3姉妹はバツイチ富士子を除いて結婚すらしていない。

両親は孫がいないのを嘆いている)

妹は本当は25日26日と休みだったから今日実家に帰省するつもりだったが、

明日に仕事だか用事が入ってできなくなったので、その代わりに来てくれたそうだ。

雑貨店で働いているのだけど、昨年店を移動になってからは

なかなかまとまった休みが取れずこの年末年始も帰ってこなかった。

久しぶりに会えて富士子はうれしいが親のことを思うとちょっと複雑な心境だ。

 

鎌倉小町通りで人気のカフェで評判のカレーを食べながら

富士子の手術のことや最近の我が家のことを伝えたら

「みんな相変わらずだね~」なんて言いながら聞いていた。

昨年4月にがんで亡くなった叔母(父の妹)の一周忌法要が

3月30日に決まったがやはり出席は無理だという。

(親もそう思っていたようで、両親と富士子の3人で出席する返事は既に出している)

 

そして、4日前の着物教室の帰りに叔父の家に寄った時のことを話した。

叔父はもちろん叔母の旦那さんだ。

この二人には子供がいなかったので

富士子たち姉妹を我が子のようにかわいがってくれていた。

ちなみに叔父には富士子のがんのことは伝えていない。

 

その時、叔父が言いにくそうに

「お父さんに伝えておいてほしいのだけど」と話し始めた。

「法要の席で叔母さんのがんが最後は〇〇に転移していたことを話さないでほしいー

叔父さんの方の親戚はそのことを知らないので」と言った。

 

以前にもこのブログで書いたけど叔母は自身のがんのことを

周囲に徹底的に秘密にしていた。

自身の親戚はもう富士子父だけなので我が家には最初から伝えていたけど

叔父の方の親戚には長いこと伏せていた。

それでも最後は伝えていたようであちらの親戚も

亡くなる直前にはがんセンターにも見舞いに来ていたが、

〇〇がんだったことは今でも秘密なんだな~と驚いた。

 

叔母の遺言なのか叔父の意志なのかわからないけど

「〇〇がんはがんの中でも最も治療が難しくて死に直結するものだからね~」と言っていた。

 

帰宅して父と母に伝えた。

母は「亡くなってまでも隠すこともないのに・・・」と不思議がっていた。
 

妹も驚きつつも「おばちゃんらしいね~」と言っていた。

そして二人でこの兄妹はどうしてこうも極端なんだろうという話題で盛り上がった。

 

富士子父は口が軽くて、自身のがんも誰かれ構わず話す。

リフォームに来た職人さえ話していたほどだ。

オープンな性格ともいえるかもしれないが、

どっちかというと、心配してほしい、カマッテチャンで

ちょっと調子が悪いだけでも大騒ぎする。

 

それに引き換え叔母は人に弱みを見せたくない人だ。

 

でも二人とも人の目を強く意識している点は共通かも。
世間体を気にしてカッコつけしいなところは両方ともあると思う。

 

人の考えること、こだわっていることは実に十人十色だと

40数年生きてきて実感している。

だから富士子がとやかく言う筋のことではないのだが
身近な二人が両極端なので
自身のがんをどこまで伝えるべきか悩んだ時は参考にできなかった。
 
この二人の間のちょうどよい地点に自分はいたいと思う。
でも、富士子自身が「ちょうどいい」と思ったって、
第三者から見ればそれもまたどうかな…と思われることがあるわけで
正解なんてないのだけどさ。
 

そもそもハンドルネームを使っているとはいえ

このブログもリアルに書きまくっている。

実は仕事面での支障もなくなってきたので

もう実名や顔出ししてもいいかなとさえ自分では思ってるのだが

そうすると叔母が誰だかわかってしまうので

これだけ叔母の話題を書いてしまったらもう無理だと思った。

 

妹にブログを始めたことを伝え

「叔母さんの事を書いちゃっているからあの世で怒っているかな」とつぶやいたら

どんな風に書いてるかあとで検索して読んでみると言っていたが、

ブログタイトルもハンドルネームも伝えてないからこれが見つけられるかどうか。

 

教えてやればいいのだけど、

かなり赤裸々に心中を書いているのと

昨年の夏短期間付き合っていた元彼のことも書いているから

自分から教えるのは少し気恥ずかしい。

これでは叔母さんのことを言えた筋ではないな~と我ながらちょっと呆れた。