退院の日の朝を迎えた。

病院のご飯もこれでしばらく食べられないな~と思いながら朝食を食べる。

【2月19日の朝食メニュー】

ロールパン、ウインナーと野菜ソテー

野菜のコンソメ煮、コンソメスープ(コンソメが重なりこれはミスセレクトだ)

果物、ヨーグルト、お茶

 

食事後荷造りをしつつベッド周りの片付けていた時布団をめくって驚いた。

シーツに大きなシミがある(もちろんオネショではない)

ドレーンの跡から体液がまだ出ていたようだ。

朝の回診で報告したら、こういう事は時々あるので

家に帰っても出て困るようなら

ガーゼを当てておくように指導を受けた。

担当の看護師さんが大きな絆創膏をはってくれた。

 

回診も終わったのでパジャマから着替える。

入院時の持ち物の中に退院の時につけるノンワイヤーブラがあるが

ユニクロヒートテックのブラカップ付きを持ってきたのでそれを着た。

乳がん手術をした人用のブラがいろいろ販売されていて

前回の退院時にそうしたパンフレットももらったのだが結局買っていない。

ユニクロのブラカップとか趣味の着物を着る時使う和装ブラで困らなかった。

ヒートテックの上からブレストバンドをまいた。

ティッシュエキスパンダーが浮き上がってこないよう

術後一か月は常時これを胸の上側に巻いておく必要がある。

今まではこれを肌に直にまいてその上にパジャマを着ていた。

病院内は熱いのでシャツを着ていられないのもあるが

医師や看護師が一日に何度も胸の傷チェックに来るので

すぐ見せられるようにしておくためだ。

ヒートテックの上に入院時に着てきたニットのチュニックを着た。

久しぶりにメイクもしてみた。

なじみの看護婦さんや患者仲間に誰かと思ったと言われてしまう(笑)。

 

リハビリ指導を受けに3階に行くエレベーターに乗って

ふと鏡に映った自分の姿を見てギョッとなった。

ブレストバンドのラインがしっかりニットのチュニックに出ていた。

これをつけている間は着る服を慎重に選ぶ必要があることが分かった。

 

リハビリ科で腕がどこまで上がるかを大きな分度器みたいなもので測定される。

出された宿題のリハビリをしっかりやっていたことに加えて

好奇心から病院内を探検して歩きまわって

身体を動かす自主トレには余念がなかったため

かなり優秀な成績であると褒められた。

 

もちろん富士子の努力の成果でもあるのだが

腕がどれぐらい上がるとか痛みが出るかは個人差が大きいという。

ティッシュエキスパンダーに水を追加されても

心配された皮膚のひきつれや痛みはほとんどなかった。

しかし、これですごい痛がる人もいるそうだ。

 

体液の減り具合も個人差が大きいと言うし、

一口に乳がんで全摘手術を受けてもその後の様子は十人十色だ。

もし同じ手術をこれから受ける人がこのブログを読んでくれていたら

これはあくまでも一つの事例として参考にしてほしいと思う。

 

ドレーンが抜けた次のステップの上半身や腕を動かす運動を教わった。

これは前回の部分切除の時に教わったのと同じだ。

しかし、前回の時よりも少しやりづらい、

腕を一番高い位置に上げると少し痛みが走る。

 

4か月の間に乳がん部分切除と全摘と2回手術を受けてみて

部分切除と全摘では手術直後の痛みが

月とスッポンほど違うことを身をもって体験した。

そして入院期間も前回4泊から今回2週間と3倍に増えたとで

前回とは比べものならない深ーい貴重な体験ができたと思う。

 

医師や看護師その他スタッフの方々が入院患者を

どのようにサポートしているのかがよく分かった。

(主治医の林先生と病気以外のグルメ話題で盛り上がれたのは楽しかったな~)。

 

そして何よりもここで出会って患者仲間の存在。

いっぱい話をして連絡先まで交換するほと仲良くなった人から

名前も聞いてないけどお話をさせてもらった人

まったく話さなかった人といるけど

部位や病状の差はあってもみな同士のように感じていた。

その人たちを通してがんのいろんな局面

さまざまな人生を知ることができた。

 

今回の入院で出会えた全ての人への感謝の気持ちでいっぱいだ。

その中には直接出会えていないけど

このブログを読んでくださった方々も含まれている。

書くことが好きで暇に任せて書きづっていたブログを

読んでくださる人がいたこと、「いいね」をくださった方がいることが

途中から大きな励みになっていました。

ありがとうございました。

 

今回の入院に深い感慨を覚えるけど

前回の退院時に感じた一抹の寂しさはない。

だって時期はわからないけど

近いうちにまたここに来ることは決まっている、

乳房再建への第一歩をもう踏み出しているのだから。