本業のインテリアの仕事は入院前に片づけて行ったものの
問い合わせは入るので病院でもビジネスパートナーのSさんとやり取りしたり
退院してきてからもパソコン作業はやっていたが、それは身体を使わない仕事だ。
問題は肉体労働である副業バイトをいつ開始するかだった。
クロネコヤマトの営業所で荷物の仕分けだから重いものを持つ機会が多いのだが
手術後は重いものを持つのをなるべく控えましょうと言われていたからだ。
退院後2週間とりあえず休みを申請して
その後様子を見て延長するかどうか決める方針だったが
幸いなことに術後の傷が痛むことも、手が上がらなくて困ることもなく
体調はすこぶる絶好調で遊びまくっていたぐらいなので
予定通り11月25日から復帰した。
復帰したら早朝バイトの仲間はみんな喜んでくれた。
もうすぐ荷量が通常の2倍になる魔の12月がやってくるのだ。
頭数は一人でも多い方がいい。
軽いものを運んだり、ポスト投函の荷物を選別する役目を与えてもらったが
手の空いた時には荷下ろしの仕事も手伝った。
自分がどれぐらい重いものを持てるのか試したかったし
12月になったら職場は戦場と化すので、
それまで身体を少しでも慣らしておきたかったからだ。
しかし「富士子さん無理しちゃダメだよ」と言って
持とうとした荷物を仲間が持って行っていくれることも多かった。
みんなの心遣いはありがたいけどなんだか申し訳ない気分だった。
だって、家の手伝い(家はみかん農家)では
もっと重いみかんのコンテナを持ったりしているのだから・・・。
でもせっかくの行為なので、
そういう時は「ありがとうございます」とお願いすることにした。
富士子が逆の立場だったら、やっぱり同じように運んでしまうと思うからだ。
それと私自身もここの1~2年生き方のシフトチェンジをしていて
人に頼ることもできるようになっていた。
以前の仕事を猛烈にやっていた頃の富士子だったら
「いや大丈夫です、できます」とか言ってやっていた可能性は高い。
バイトの仲間の一番若い人は20過ぎの男の子だ。
(富士子は彼ぐらいの息子がいてもおかしくない年齢だ)
その子が特に熱心にサポートしてくれる。
「イイッスよ、これ俺運びますから、富士子さんはあっちお願いします」
とか仕事中に話をする機会も増えてきた。
前はほとんど話をしなかったし、時々怒ったような表情をしていたこともあり
彼のことなんか苦手だったのだが、とってもいい子であることがわかった。
話は少し変わるが
がんになってから思うことがある。
とてつもない「印籠」を手に入れてしまったのではないか、と。
「私がんなんです」と言えば
周りの人は黙ってひれ伏すしかない。
自分自身もがんを何かの言い訳にすることも容易にできる。
『がんなんだから仕方ない』と。
がんを自分自身や周囲への言い訳にもせず、
だからと言って必要以上に無理もせず
普通に暮らしていきたい
それが今の富士子の切なる願いだ。