入院当日の朝まで仕事を入れていたため

指定された10:30ぎりぎりに静岡県立がんセンターに到着した。

 

まず薬コーナーに行き、今服用している薬やサプリメントの報告や提出をする。

富士子はなにも飲んでいるものがないのだが、それでもここに寄らないとならない。

到着が遅かったから仕方ないが、30人弱の人達が既にそこの待合にいた。

こんなにたくさんの人が入院するんだと改めて驚いた。

 

その後入院受付へ

ここで入院患者の証ともいえる腕バンドを腕にはめれらる。

取り違え防止のため名前と生年月日、IDが印刷されていている。

ちなみにがんセンターでは診察受付や検査をする度

本人確認として名前と生年月日を言わされている。

 

ここまで一階フロアで手続してようやく病室のある10階西病棟にあがる。

部屋は1054の窓側だった。

とても眺めがいい部屋に当たりラッキーだ。

 

前日ほとんど寝てなくて眠いのでベッドで昼寝でもしたいところだが

入院初日は各科の担当者に会ったり、検査があり忙しい。

そしてその間をぬって最上階11階にある展望風呂にも入りにいきたい、

今日はミッションが山盛りだ。

 

手術室の看護師、麻酔科の先生に会ってからお昼を食べて

今度はリハビリ科を受診する。

この間母が付き添って一緒に話を聞いていたが

リハビリ科の話は特に一緒に聞いてもらってよかった。

 

富士子は母から

「退院したら何もしなくていいから正月まで

家でおとなしく寝ててちょうだい」と言われていた。

さすがに毎日ベッドで寝てろという意味でないとは思ったが、

クロネコのバイトも早く復帰したいし、遊びにも行きたいので

一か月半もの間家にこもっていたくないので困っていた。

 

そんなところに理学療法士さんが

「手術の後大事をとって動かない人が多いのですが

体力も落ちてしまうので動いた方がいい。

お母さん甘やかさないでお嬢さんを使ってください」

と言ってくれたのだ。

 

明日の手術でリンパ節を取るかどうかで腕の可動域が変わってくるが、

リンパ節を取っても退院後すぐミカン収穫していた農家の人もいた

との話を聞き、ますますうれしくなった。

 

富士子の家もミカン農家。

11月は橙の収穫の最盛期で両親も忙しい

そんな時に入院となってしまって心苦しかったが

これで家の仕事も少しは手伝える。

(それに手伝いをしておけば、遊びに行くときも心置きなく出かけられる)

 

今まで手術の後遺症で肩が上がらない腕が動かないという

悪い類の話しか読んだり聞いたりしてなかったので

意外と大丈夫かも?と気が楽になってきた。

 

母が帰った後夕方5時から

明日のセンチネルリンパ節生検のための

薬を胸に注射する処方を受けた。

看護師さんに連れられて10階西病棟から私も含め3人が一緒に

処置室に移動して行った、2人とも私より若い人だった。

 

その後、夕飯を食べてシャワーを浴びた。

結局、11階の展望風呂に行く望みは叶わなかった。

 

リハビリ科の受診を終え母が帰ってから

センチネルの処置を受けるまでの間に展望風呂に行ってきますと

看護師さんに言ったら、許可書を持っているかどうか尋ねられた。

 

「許可書はないけど、先生には前日お風呂入っていいと言われてます」

と答えたら、それはこのフロアにある普通の風呂のことではないかという。

展望風呂は主治医のハンコのついてある許可書がないと入れないのだそうだ。

そんなの知らなかった~、展望風呂は幻に終わってしまった。

 

病棟の消灯時間は10;00だったが、寝不足で眠いので9時すぎに就寝した。

 

一日目の昼食

 

一日目の夕食

病院のご飯が楽しみという富士子に看護師の妹が

全身麻酔をする場合は前の日の夕飯は食べらないと言っていたが

ちゃんと夕食は出た

 

病室の窓から見える夜景