あけましておめでとうございます。

昨年12月27日にブログ開設してからバイトが忙しく更新しないまま新年を迎えました。

2019年はどんな年になるのか?期待と不安が入り混じった新年です。

一年後には胸が無事再建できて、経過観察のみの状態になっていること願いたいです。

 

さて、富士子のことを自己紹介しようと思います。

今年4回目の年女になる1971年生まれ、

静岡県東部の富士山のふもとのまちに生まれ育ちました。

かかりつけ医になってしまった静岡県立がんセンターは車で一時間弱のところです。

両親と妹と4人ぐらし、バツイチで子供なしです。

 

どうやら私は昨年から人生のシフトチェンジに差し掛かっているようです。

 

10数年前からインテリアの仕事をしており、8年前に仕事仲間と会社を立ち上げました。

言い出しっぺだった私が社長をやっていましたがいろいろ思うところあり、

昨年4月に知り合いの会社に事業譲渡して会社を清算しました。

がんが見つかったのは会社の清算がひと段落し、

本腰を入れて自分の次の仕事を考えようとしていた矢先でした。

 
驚いたし、ショックも受けたけど、
実は告知を受け一番最初に考えたことは
『今で良かった~』。
 
会社のことで悩んでいた時だったら、
清算や事務所引っ越しでバタバタしていた少し前なら
エライことことだったし、耐えられなくておかしくなっていかもしれないからです。
(まぁ、実際、会社のことで悩んで鬱になって
ベッドから起きられない日々を過ごしたこともありましたから)
 
会社をどうにかしようとあがいて自分なりに努力したけど
それだけではどうもできないことがある(運やタイミングなども侮れない)。
時流に抗うばかりでなく流されてみることも時には必要ということを悟り
会社を手放したあとだったので、耐性ができていたのかもしれません。
 
もうここまで短期間に次から次にいろんなことが起こってくると、
「がん」まで出てきましたか~という感じで、
神様はまだ私に何か学べと言っているかしら?
この先どうなるか行きつくところまで行ってやろうという心境にさえなりました。
 
というわけで、
神様から人生の春休み期間をいただいたと前向きにとらえることしました。
次の学年に進級する前のシフトチェンジ中ということで
新しい仕事は始めずこれから先のことを思案しながらのんびり生活中。
事業譲渡した会社からの下請け仕事をこなしつつ
足りないの生活費はバイトで稼いでいます。
今までがむしゃらに仕事する生活(生き方)だったので
こういう暮らしもいいな~、バイトも気軽で新しい世界が覗けて楽しいな~
というのも嘘偽りない気持ちです。
 
しかし、こんなお気軽なことを言っていられるのも
がんが軽度で発見されたことと
今、痛いとか身体がつらい思いをしてないからこそでしょう。
 
そんな恵まれた状況のにありながらも
時々不安になることもあります。
そういう時に自分の周りには話を聞いてくれる友人や
自分の体験をわかちあってくれるがんの先輩がいてありがたいです。
 
それで私も自分の体験をブログにつづることにしました。
 
私ががんと付き合うようになってからまだわずが5か月ですが
その間にわかったことは、
同じ乳がんであっても病状や置かれている環境は一人ひとり違うということ。
ほかの人の体験談がすべて参考にはならないのですが
富士子の場合はこうだったという一つの事実として、お読みいただければ幸いです。
 
2019年元旦