内観シリーズ始めます不安

 

 

 

粛々と作業を進める。

わからないなりにも粛々と進める。




 

疑問や質問もある程度調べ、

自分の解を持ってから質問をするようにしているけれど、

基礎知識のないところでの話は

さっぱりわからんねー。

 

 



それでも

それをやろうとしているのだから、


自分の持っているリソース全出しと

自分の使える時間は

全部使おうと振り切ります。

じぶん、不器用ですけん不安

 

 




そんな昨夜、

家族の今欲リストを聞いてみた。

(今の欲望)

 


お金や支払いなどの際限がなく、

限度額のないカードをプレゼントされたら


と考えてみてと伝えました。

 



息子は、


「独身貴族」みたいな

都心のマンションで

好きな家具や道具を揃えて暮らしたい。


と言った。

(「うわー血だ!」と思った)


 

夫は、

千葉県館山市で

ヨークシャーテリアを

10匹飼うと言った。


ブレてないー。

(昔から坂本忍さんのような生活に憧れている。)

 

 

 

それにしても2人とも、

「生活」や「日常」

なんだなと思った🫶

 




ちなみに母は、

「困っている人にあげる」

と言った。


自分が困っていたときに

誰かにそうしてほしいと思ったことがあるからだと。

 

 


実は、私も同じように考える部分がある。

 

✔︎兄の住宅ローンを完済してあげたい
 (おそらく兄の家族が困っていること)

 

✔︎母を函館で1人暮らしできるようにしてあげたい
(おそらく母の小さな曇りが晴れること)

 

✔︎息子が幼い頃お世話になった方たちの今の困りごとを解消してあげたい
(息子が今の息子でいられることを関わってきた全ての方のお陰だと、とても感謝をしている)

 

✔︎直近まで努めていた会社の部門にフォークリフトと高圧洗浄機を2台追加購入してあげたい、事務所を立て替えてあげたい

(私がいた当時の部下や協力会社の職人さんたちが喜ぶ)

 

そんなことばかり浮かんでいた。

 



ふと気がついたのが、

思考は遺伝するというか、

その域を出ないのかな。とか、


価値観は親の影響を受けるのかなと思った。

 



息子は自分のことだけだけど、

おそらく「働く」ということに対しては


「人の役に立ちたい」とか

「困っている人を助けたい」


という思いが根底にあるのが

みていてわかる。

 

 

 

綺麗事やいい話をしたいのではなく、


この「奴隷体質」みたいな価値観が、

実は継承されているのかなぁ。

と最近思うようになって。

価値観の呪縛説もあるけどね。捉え方かな。

 





はたから見ると、

それは「他軸」や「人目線」とか

「自分で決められない人」

のように見えるのかもしれないけれど、


自分でもそれを疑ってみたりもしたけれど、



どうも、

そうではないのではないか、

と疑っている。

 








「自己犠牲」とか「自分軸がない」とかではなく、


もっと深く高い価値観なのではないかと


子供の頃からこっそり思っている。


感じ悪いから黙ってきたけど、

最近、特に、

「あれ…もしかして…」と思うことも時折あって。

 

 



あきらめに似ているけど、

あきらめではなく、「ゆずる」という言葉に似ているかもしれない。

 




傲慢か?

我が強いか?

と思ったこともあるけれど、


どうもそうではなく、


人の「我」を通してから自分も通す。


という「ゆずる」という感覚に似ている。

 




必死さがないのが特徴。


これは、

幼い頃から持っているなと。

 



よくよく見ると、

わたしだけでなく、母にも息子にもある。

 



「奴隷体質」

 


他にいい言葉があるといいんだけど(笑)

私はこの言葉が嫌いではない。



なぜなら、なかなか一般の感覚ではできないことだろうと思っているので、

むしろ誇りに思っている。

 

 

「忠誠心」とか「遂行力」

とも言えるかと思っています。


ただ、

「誰にでも」「何にでも」

ではなく、


「家族」と「役割」と「決めた人」

に対してだけですが。

 

 




同じ体質の人にはわかるかと思いますが

たいていの人にとっては理解できない感覚かと思います。

 わかるかなぁ〜わっかんねーだろうなぁ〜←ご存じ?

 




故に、夫にはわからない、

息子や母の暮らしの中での価値観が

私にはわかる。



わかるから尊重しているだけですが、

息子はそれをとても心から感じ、

わかる私に、絶大なる信頼を抱いてくれています。



 

わたしと息子、

相互の信頼と尊重という作用が

息子の自信に繋がっていて、


「絶対的信頼関係」が

構築されていると思っています。

 




NOと思うことは

丁寧に伝えようとしてくれる。


 

自分の考えを伝えようとしてくれるかどうかで

相手の誠実さと

関係構築度がわかります。



 

「感情」をぶつけてもらえるか

(たいてい影でいうか去り際にいう)



「反対意見」を提示してもらえているか

(たいてい結果に対して言うだけの評論家)

 

 

 

 

個人の自己主張や

コントロールしたい評論家の意見に左右されるのではなくて、

レターとかDMとか一方向の言葉を鵜呑みにするでなくて、

 

顔見て、向き合って、話せるか。

 

最後の捨て台詞や、結果論ではなく、

 


「現場で」

 


伝えてくれる人がいるか。





これらが、どれだけ現場でできる組織かで、

関係構築がされているかがわかる気がしています。

 

当人同士の間に信頼関係が構築されていて、

 

「世界中が理解できないことでも、理解しようとしてくれる」という


動機が

「信頼」で構築ができている

上司と部下であれば、

粉骨砕身やれると言うのが、

これまでの私の人との関わり方でした。

 

 

 

おそらく、これは「血」であり、

私はこれまで人に対してこの

「血」みたいな感覚を感じた人の言うことは絶対に聞いてきたなと

 振り返ると思います。

 



それは勝手な思い込みや希望ではなく、

いただいた、たった一言だったり、

していただいた行動だったり。



それだけで何年も絶対的信頼を持ち続けたこともあります。

エンゲージメントってこういうことかな。


って思っていたけれど、

 

一生の中で、そんなにいないよなぁ。とも思う。

巡り会えない人もいるでしょう。


そうなると、縁というものを大切にしたいと思い、大切にしながら、その質も考えなければなとも思うのです。

 




私は「私」と言う人を、

他人に説明するには、

現代にある一般的な言葉では説明できないかもしれない。

100人に1人の1割の人だから。

 



100人と向き合っていけば、きっと成し得る事業だと思い、

只今絶賛、同じ理念を共有できる100名を求めて活動中です。

 

 

自分の言葉を発信しなくなり1ヶ月が過ぎたな。

毎日発信していたスタエフL IVEを3/5で一旦区切りました。


と思い、ナウの頭の中を書き起こした朝でした。

 

 

本日も、粛々と作業を進め、ガツガツと事業の準備を始めます。


色々間違っていたとしても、それはそれでわたしの血肉になるので自分の為なのです。

初動やきっかけは他軸でも、それが自分軸。

 

私はわたしにしか演じられないので

ブレません。

 

 

結果出せば、なんだって正解になるでしょう。