ALSの女性から依頼を受け
その女性の願いを叶えてしまった事件


あたしも以前に担当してた利用者に
ALSのかたがいた

以前にもブログにしたが
利用者が亡くなられたあと今でも
奥さんや息子とは交流がある

1月31日のあたしの誕生日には
『おめでとう』のLINEが届くほどで
あたしにとっては、有難い話

そのALSの方とあたしは
確か5つも離れてなかったんちゃうかな?

介護も雑で下手やったあたしは
父親として息子にしたかったであろうことに
勝手に考えて重点をおいて
介護以外の私生活の面においても
手助けをしたく考えていた

息子が小学校の頃は自転車の修理もした
お父さんに叱られたときは
なぜ、お父さんが怒ったのかの解説もした
それは、やはり『父親』として
理解できることも多かったから

あたしが脊椎のケガをして
そのお宅の担当を外れたあとも
利用者とはメール
奥さんと息子とはLINEで繋がってた

奥さんは大阪の実家へ戻り
息子も大分の大学へ戻ったが
それまでの間、息子が免許を取ったこともあり
運転の練習の付き添いで
高速を走ったり奥さんも一緒に食事に行ったり…

息子が産まれるのとほぼ同時にALSを発症

初めは介助すれば室内を歩くことも
声を出して喋ることもできていたが
息子が保育園に通う頃には
気管切開に呼吸器と声を出すことも
話すこともできなくなり
身体中の筋肉も衰えて寝たきりに

ただ、今の世の中は便利なもんで
PCにECSという装置を繋ぎ
頬の筋肉の僅かな動きでPCを操作して
長文でも意思を伝えることはできていた
介護が雑でガサツなあたしも
何度も文句言われたわさ(≧∇≦)

ただ、介護以外の内々のことも
信頼してくれていたのか
かなりプライベートな頼まれ事も^^;

今から思えばこれが
『居宅介護』の醍醐味やったんかもね

この(前の)事業所に移る前の事業所も
『筋ジストロフィー』を患ってる方が
自らヘルパー事業所を立ち上げた事業所

10歳で発症し中学は、地元の中学と
京都にある宇多野病院の院内学校

これもブログにしたと思うけど
この方の最後のヘルパーもあたしやった

バカばっかりやってきたあたしの話に興味津々

おそらく、自分には経験出来ない話だから
余計に興味が湧いたんやろな^^;

病院に入院する度に
看護師と仲良くなれないって悩みがあった

それを解決するのは容易いことやった

排泄、体位変換、移乗、配膳、食事介助…

して貰う度に『ありがとう』言うてる?

そんなん言うたことない
してもらって当たり前やのに
なんで『ありがとう』言わなあかんの?

それが、彼の考えやった

あのな、ちょっと考えてみ
特に排泄物なんて自分のでも臭いやん?
そやのに他人の物を仕事といえど
ちゃんと処理してくれるんやで
そやし、あたしには『ありがとう』言うやん

すると、今度から言うてみると…

最後の入院では、それを実行したらしい

すると全ての看護師と仲良くなれて
看護師さんにかき氷を振る舞いたいと

亡くなる前日のヘルパーはあたし

かき氷の材料と道具の買い出しをたのまれ
定時よりも2時間以上経過して
京都をあとにした

翌日、お母さんから旅立たれた連絡をもらう
その時にめちゃくちゃ丁寧にお礼を言われた

悪さの話、スケベな話…
全て聞こえていただろう

満足して逝ったと思います…と…


この2名の亡くなった利用者

今から思えば、ホンマに満足して逝ったんかな?

もっともっと生きたかったんやないんかな?

今回の事件の依頼人の女性も
ホンマに生きたくなかったんかな?

周りにいろんな話をできる人がいたら
もっともっと生きたいと思えんかったんかな?

この、手を下した医師の判決は置いといて
なんか…虚しくなる事件やな

あたしが凹んで凹んで鬱になりかけて…
これも生きていればこその出来事

(   ´∀`)ハハハと笑って(8‪✕‬8)64
(p_q*)シクシク泣いて(4‪✕‬9)36
泣いて笑ってちょうど100!

悲しいことは時として心の傷になる
だから心に残ってしまうだけで
実際には、笑えることのほうが
倍近くも多いのよ

だからさ

生きようよ!

頑張る必要なんてないんだから

生きて生きて…みんなで笑おうよ!

きっと、死ぬ幸せなんてないと思うよ







孫も2歳を過ぎた今
この歌詞が胸にジーーーンとくる