早いもんでもう能登半島地震から3週間
復興の兆しどころか
まだまだ行方不明者の発見にも難航している

中学生とかの集団避難も始まった

不安だろうし親御さんにしてみれば
胸が張り裂けるほど心配だろう

みんなに知っていて欲しい

今あるあたりまえ
決してあたりまえではないことを

まだまだ支援の手が届きにくい被災地

赤ちゃんからお年寄りまで
肩を寄せあいながらの生活

食べることにも事欠く生活

ライフラインの寸断で
自衛隊の好意でしか入れないお風呂

1月1日からずっと強いられる日常

どうか、目を背けないで
現状をしっか見てください

自分たちの日常は決して
あたりまえではないということを

運の善し悪しだけで片付けられるものやない

日本に住んでいる以上
いつ、自分に降りかかるやも知れない災害

うちは、大きな地震は無いにしろ
2004年10月20日の台風23号の
洪水に合いました

水の引いた翌日には
半身不随の同級生と膠原病のツレが
二人で来てくれました

大きな袋いっぱいにお菓子を詰めて
「これ、子供らに食べさせたって」と

滞在時間は、おそらく30分足らず

障害を持つ彼らは
「おるだけ邪魔になるし帰るわ」と

袋のお菓子を子供たちに渡しながら
袋の底をふと見ると茶封筒が一つ

励ましの手紙かと思いきや…

現金が、20万…

すくに彼らに電話して
「アホ!こんなん受け取れんわい!」

すると彼らからの返事

「なに言うとんねん!ワシら地震のときにお前にどれだけのことしてくれてん!」と

泣けたよ…

そんなつもりでしたことやないもん

ほんまに親戚や友達…の生活や今後
それだけが心配で車を走らせただけ

ホームセンターでポリタンクを買い込んだり
1ヶ月日持ちするパンを当時のうちのパチンコ店に
出入りしてる業者にあるだけ持ってこさせたり…

さすがにその時だけは
女性の生理用品や紙製の下着とか買うのも
全くとは言わんけど恥ずかしくなかった

そんなものを在庫のあるだけ買い込んで
神戸に向けて車を走らせた

高速道路の料金所は無人
北六甲有料道路も無人
六甲山トンネルも無人…

六甲山トンネル(約8km)内では
まだまだ余震が続いていた

でもな、二人とも親友やもん

そんなん当たり前のことやん?

トンネルが崩れて埋まっても
コイツらのために…と思ったら
なんか、怖くなくなった^^;


震災なんて経験しなくていい!

ただ、震災や災害があったこと

そして、ちゃんと復興するまでの道筋は
目を背けずにしっかりと覚えていてほしい
そして少しだけでいい
そんな誰かに寄り添ってほしいと思う

殺人や詐欺…犯罪を犯すのもやけど
気持ちを支えたり温かくしてくれるのも




バンバンとゆきネェもおったんや^^;


この曲は、KANの遺産やね!


がんばろう!

北陸!!


まけるな!

北陸の

こどもたち!