サヨナラだけが人生さ!
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2016/07/27

スマホからもアップテストロックグラス

映画「kapiwとapappo」プロダクションノート

撮影当時の日記を参考に、思い出しつつ書いていきます。

ああ、もう6年もまえ…

近況…

◯背水の陣
ここ数週間、ジョームの合間に、自主制作映画に対する文化庁の助成金申請書の作成に没頭していた。
企画書、シノプシス、要望書、企画意図、企画概要、社会に対する云々かんぬん、収支予算表などなど、先輩の助言を得てなんとか提出。
これがうまく通れば予算的には相当助かる。いや、ハッキリ言ってそれなしには進めない。
約5倍の競争率。
受かるかどうか。
精一杯やったので、ダメでも仕方がない。
しかしダメだった時にはどうするか。
それは今は考えない、ことにする。

◯家庭内ルームシェア
ワシは自他ともに認める練馬区イチバンの愛妻家だと思っていたが、それが去年には関町イチとなり、今年はマンションイチとなり、それも今は我が家イチということになったようだ。
そのうち、Cに抜かれるかもしれん。
彼女の欠点をことごとく美点だと思って独り幸福を感じていたが、15年経ってどうやらその魔法も解けたようだ。
無論、彼女も同じことを思っているだろう。
まったく彼女、つくづく男運が悪い。
ここ一週間ほど、互いに会うこともなく、会っても目を合わせず、もちろん話しもしなかった。
ワシは自室で眠り仕事をする。
彼女は自室と寝室を使う。
台所と風呂トイレはシェアし、リビングはCと妻が使っている。

◯煙
根がどこまでも本物志向でスタイリストに出来てるワシは、もはや、安っぽい税金まみれ添加物まみれの市販煙草では飽き足りなくなってしまった。
思えば十代からハイライト一筋だったが去年”アメスピ”に替え、その勢いでもって最近は手巻きタバコに凝っている。
考えてみれば、毎日煙草に480円使えば月に15000円、一年で18万円である。
手巻きタバコならば、若干の初期費用(ローラーやフィルターで1000円位か)は掛かるにせよ、800円ほどのワンパックで10日は保つ。
銘柄は豊富だし、燃焼剤は入っていないし、なによりも、美味い。
巻くのに手間がかかるのが難だが、それも本来あるべきものだ。
そもそも普通の市販煙草に含まれている燃焼剤。これに疑問を持つことは今までなかったが、思えばこれは詐欺のたぐいである。
なんとなれば、吸ってなくても勝手にそれこそ煙となって消えてしまうからだ。
ワシは昔から”置き煙草”をする奴が嫌いで、スタッフルームでそれをやっている奴がいたら有無をいわさず勝手にたばこをもみ消していた。
今考えれば、”置き煙草”はタバコ会社にとっては棚から牡丹餅、燃焼剤はウハウハの錬金術だったわけだ。

今になってこんなことを言っているワシだが、正直元々は考えの浅いボンクラだった。
それが変わったのは、大震災以降。
環境のこと、自然のこと、エネルギーのこと、そして無駄なカネのことをボンクラなりに考えるようになった。
石原某ではないが、災害は警鐘として必要な時にやってくると思う。
それが、宇宙の摂理だろう。

◯猫の眼
夫婦不仲なこの一週間ほど、ワシを死ぬほど愛しているはずのCはいっぺんも部屋に入ってこなかった。
朝ワシが帰宅しても、寝室から出てこなかった。
鯖の缶詰を開けても、そばに来なかったのには驚いた。
だからワシはCの存在も忘れて、独り寝を貪っていたのだった。
ところが今朝、ガリガリと戸を引っかく音がして、放っておいたらいつの間にかワシの枕元に座っていた。
鳴きながらソロソロと布団に入ってきた。
布団の中ではワシの股に潜り込み、ゴロゴロ喉を鳴らして甘えた。
妻によると、ここのところずっと妻のそばに居て息を殺してるようだったという。
きっとワシの頑なな心がわずかに緩みかけたのを察して、来たんだと思う。
その敏感さに驚く。
犬は飼い主に徹底して従順だが、”我関せず”のはずの猫だって、じっと様子を伺っていたのだった。
これがニンゲンの子どもだったらもっと如実だろうな、と思う。
”カスガイ”のないウチとしては。

フリーフォント

余計なお世話ですが、このフリーフォントをインストール(macでもwinでもオッケ)してもらえばワシは嬉しいです。

このブログは、このフォントで読んでもらいたい。
普通に使えるフォントですよ?

アンソーシャル。

さてと。

もう5年も放置してきたこのブログ。
IDとパスワードもなんとか思い出し、復活させることにした。

7年くらいもさまざまな日記を綴ってきたMIXIからここ数年はもっぱらfacebookに居場所を移し、それなりに「ソーシャル」なことも書き込んだりしていたが、やっぱりワシが書きたいのはアンソーシャルでプライベートな思いなんである。
社会現象に目を閉じるつもりはないし、facebookは便利であり友人の動向が分かる点もありがたい。
しかしワシが書きたいことはどうもFBにはそぐわない、書いてもあまり意味もないことが多いような気がする。

動画の編集やそれにまつわるアレコレにほとんどの時間を取られ、思い悩んだり行き詰まっていることが多いが、ときに文章を書きたくなる。それはけっこう長い、そして後ろ向きなことだったりもする。だからあまり「ソーシャル」ではない。
興味をもつ人だけが読んでくれればいいし、仮にだれも読んでくれなくてもそれでもいいのである。

そんな感じで、誰にも気遣わない本音のブログを再稼働することにしました。

では、【興味を持ってくれる】みなさん、あらためて夜露死苦です。

ユキツグ追悼キャンプ・私的報告

8月に亡くなった友人ユキツグの追悼キャンプに行ってきた。

場所はシゾーカ、掛川の「ならここの里」。
ここはちょうど一年前にユキツグの仲間集まって、ヘンな宴会を催したところ。
その催しを今年も是非やろう!とユキツグ本人も楽しみにしていたのに。


●1日目。
先乗りしてのキャンプ。
ワシら夫婦だけでもエエやと思っていたら東京からp同行し、ナベさんカヨコさん、本番には参加できないムラマツさん参加してくれることに。
買い物を済ませて到着遅れ、日が傾きかけた中アウトドア教室よろしくテント・タープ張る。
だだっ広いグラウンドにはワシらだけ。
仕事を早あがりしてくれたムラマツさん来る。
早速ビールあけ、餓死寸前で乾杯乾杯。
ペーとpが準備してくれたチャンコ鍋、中に何が入っていたのか覚えていないが、焚き火を囲んでのしみじみ宴会に。
心配だった天気は好転して、広い空は星空。
そうこうするうちカヨコさん到着。
ムラマツさんが連れてきてくれたニコちゃん喜んで走り回る。
うどん食う食う。
もう一匹のしょうたろうはひとりで留守番か。
もちろんもっと心配なのは、闘病中の奥さんノリコさん。
ユキツグが一番心配していたことでもある。
どばどば注がれるバーボンで早々に潰れてしまうワシ。
クルマでちょっと休むつもりがホントに寝てた。
4時に起き出し5時に帰るというムラマツさんを見送るつもりでいたら、あれ?クルマがない。
リードと犬の食器は転がっているのに‥‥。

●2日目。
起きだしてきたペーと吊り橋渡って散歩一回り。
どうやらワシは昨夜酔って悪態をついたらしい。イカンイカン。
pがスープを作りバゲットちぎって朝飯。
ワシは昨夜寝ぼけて、クルマに転がっていたパンを半分食っていた。
午前中はBBQ道具借りたりカレー作ったりベーコン燻製したり。
ペーとpは連れだって温泉行き、なかなか戻ってこない。
そのあいだワシは留守番しながら新聞読んだり燻製見たり。
いったんナベ家に帰っていたナベさんとカヨコさんは戻って来るなり風呂に行ってしまう。
いつもは独りか二人のキャンプなのでなんだか勝手が違う。
昼飯は得意のコンビーフキャベツパスタ作るが、5人前も作ったことはないので味はイマイチ。

午後二日酔い悪化のナベさん残してpと買いだし。
いやー、わからんわ20人分のBBQなんて。
ワシ自身も二日酔いか寝不足かで疲れてテンション下がってくる。
独りだったらとても無理。
そこへ強力助っ人、東京から藤戸兄弟やってくる。
「肉、足りないんでない?」
氷、炭なども仕入れてサイトに戻る。
買い出しの間にペーとカヨコさんはアイスクリーム食いに行ったとか。
まあ、それぞれが楽しんでくれたならばヨシとするか。
暗くなる頃、地元の仲間や東京からの坂口家+ブン到着。
意外に早くAgue一家+ロニ夫到着、暗い中のテント設営に強力協力。
子どもも走りまわり、ずいぶん賑やかになってくる。
灯りがつき、ドラム缶の炭に火がおこり、ナベさんの開会宣言で乾杯。
こういう会によくある自己紹介や「それぞれ一言」はちょっと考えてたけど、やめた。
なんかね、ユキツグという共通項があることはわかっているので、それでもエエかと。
飲んで喰って、天体望遠鏡で月見たり、ユキツググッズ自慢しあったり、ゆるーくゆるーく皆は酔っていった。
「とうちゃん、そろそろいいんじゃない?」
灯りを暗くして、今日のために作ったユキツグ追悼ビデオを披露する。
拍手されると、なんだか照れくさい。
食い入るように見つめていた弟さん。見てくれた人の中に一瞬でもユキツグが蘇ってくれればそれで満足。
ひょんなことから入手出来たユキツグドキュメンタリーもループ上映し、pのユキツグフォトアルバムもエンドレススライドショー。
その間にも地元近くの仲間は現れ、それぞれ話に花が咲く。
ここにムラマツさんがいないのが、なにより残念などと思っていると密かに良くない報せが飛び込んできた。
そのムラマツさんの奥さんを新たな病が襲ったとか。
病院と自宅の往復で疲れ、やつれて見えたムラマツさんがあまりに気の毒。
ユキツグは勝手に旅立ち、ワシらはそれを肴に呑んでいるが、彼も奥さんもまだ闘いの最中。
そんなことを考えているとにわかにドヨーンとしてきた。

「コラだよコラ!コラが出てきたよ!」とpに起こされる。
寝ぼけマナコで起き出すと、あっ、長い髪の男が大きなコラを演奏している!
えっ!なんで?
コラとは西アフリカの多弦瓢箪竪琴だが、なんでここに!?
去年は突然インドネシアのガムランが出てきて驚いたが、コラにはもっと驚いた。
弦が足りないというそのコラは、強くも優しげな男がつま弾くと柔らかい音を出した。
そのうちエミちゃんがコラを手にしてつま弾きだした。
そうするとコラはトンコリにも似ているなと思わされた。
しばらくして、ゆっくりと呼吸をするようにエミちゃんの口から、あのウポポ(歌)が出てきた。
とても自然に、男は探るようにコラをつま弾き、ウポポは低くも張りをもって神秘的に響いた。
「これこそコラボレーション!」などとくだらないことを言ってしまったのは、ワシ。
ウポポもコラも静かな自然の中で聴くと、「これが本来」と思えた。

ナベさん、ついに精緻極まる天才的な巨大切り絵を披露する。
モチーフはユキツグ。
まったく想像もつかないような手作業。ワシには10分の1も無理だ。
数人が持ち上げたり裏にすだれをかざしたりなんとか見えるように苦労するが、明るいときに見た方がエエんでねえの?

いつしか人も減り、ドラム缶を囲んで数人で語り合っていた。
薪はとっくになくなっていたが、野性をもった優しい男達が次から次からどこからか集めてくる。
焚き火は魔力を持っている。
ついつい、なにも考えず夢中になってしまうものだ。
5人が3人になり、ついに2人となり、声を潜めてのディープな話。
そのディープさは、なぜかワシには意外ではなかった。

●3日目。
腰の痛みに眼が冷めると、クルマの外をアゲちゃんが爽やかな顔で通り過ぎた。
フラフラと起き出すと、東屋の中は大調理場と化していて大勢で賑やか。
昨夜遅くに到着したプロの調理人が腕をふるっている。
サフランライスにフランスパン、野菜トマトスープに残りのカレー、野菜サラダにベーコンエッグ。
他にもいろいろ思い出せないほど。
こんなに朝食が充実したキャンプは初めてだ。
やっぱり任せておけるプロがいるというのは、なにより安心。
しかし、その調理師夫妻は仕事があるので急いで帰ってしまった。
ちゃんと話すことも出来ず、まるで一陣の風。
さっきまで話し込んでいたロニ夫はフライシートのない蚊帳のようなテントの中で丸まっている。
生きているのだろうか。
ゆっくりとした朝食済ませて、一部は川に遊び一部はテント撤収、洗い物片付け隊もフル稼働、サイトには活気が溢れる。
ゴミ捨てに行って戻ってくると、バンガローの中でナベさんが切り絵を再披露していた。
なんだ、あとふたつもあったのか。
なんでもっとちゃんと皆に見せないんだろう。

11時。
一応のチェックアウトに合わせて一同解散。
時間の許す人はまた温泉に浸かったのだろうか。
近くの寺や神社を巡って、素敵な体験をした人もいたらしい。
ワシは夕方に用事があったので、早々に高速へ。


ワシ自身は寝不足呑みすぎで相当疲れたが、そこには達成感よりはむしろ不全感の方が強かった。


このユル過ぎるイベントにはるばる、都合をつけて参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
また今回は参加できなかった皆さん、次回来年も同じ時期にもうちょっと工夫してやりたいと思っています。
是非是非次回はご参加を。














ある友人の死

ユキツグの死

いろいろな思いや後悔が渦巻いていて、その喪失感は日々深くなっている。
彼を好きだった人は誰もそうだろう。

●8/1(日)

14時過ぎ、炎天下で珍しく電話が鳴った。
撮影中はマナーモードにしていて気づかないことが多いのだが。
表示された名前を見てハッと嫌な予感がした。
「桃さん、落ち着いて聞いてくださいよ」
そういう声がすでに震えている。
「ユキさんが死んじゃった!」
「えっ!」
頭が真っ白になった。

乗務明けのワシは少し仮眠をとって、王子の荒川河川敷でムクナさんたちの屋外練習風景を撮影していたのだった。
頭が真っ白な中、とりあえずカメラを移動させテープを交換、
「ああ、撮影どころじゃない、連絡しなきゃ」
と知人に電話をかけ始める。
ああ、遅かったか、ああ、チクショウ!
かかってきた電話の主は、静岡森町のナベさん、ちょうどその日にも電話してみようと思っていたのだった。
十日ほど前から気になっていた。
この異常な熱暑が続いていたので、クーラーどころか水道さえない廃屋に住むユキツグのことが気になっていた。
何度か電話したものの「お客様の都合でお繋ぎできない」と。
木彫りのアクセサリーをクラフトショップやイベントで売ったりして暮らし、カネが入ると酒につぎ込んでしまう彼には珍しいことではなかった。
「まったく、あのオヤジはしょうがねえなあ‥‥」
それでもなぜか気になり、近くに住む作家仲間のナベさんに安否確認しようとしていた矢先だった。
北の民族である彼は暑さに弱く、去年の6月に上京した際鎌倉に連れて行ったときにもホントに辛そうだった。
先週ワシら夫婦は日光にキャンプに出掛けたが、そこから電話してもやはり繋がらない。冷蔵庫に眠っているキトビロの醤油漬けを送ってやろうとペー(妻)と話していて、帰ってきてなにかいい容器はないかと探したのが土曜日だった。

何度かのナベさんとのやりとりの後、遺体はとりあえず警察に安置されたが親族が来ないと何も進まないということで、東京に住む弟さんたちを連れて行くことになった。
彼の弟子であるJ君に連絡すると細君とこれからバスで向かうと言うので、俺も向かうからクルマで一緒に行こう、ということに。
Jくんの店で彼らと落ち合ったのは6時頃か。

森町警察に着いたのは10時半頃。
ナベさんムラマツさんNくん、Aちゃんたちと落ち合う。
クルマを降りたとたんムラマツさんが泣きながらすがりついてくる。
「桃さん、ごめんよお、ごめんよお、俺がそばにいながら‥‥」
「なにいってんだよ、ムラマツさん。誰もそんなふうに思ってないよ、自分の責任だよ、犬猫じゃないんだから‥‥」
いや、イヌやネコならもっと本能を働かせて自分を守ったはずだ。
ムラマツさんは同じ集落に住む造園屋さんだが、ユキツグを面白がり好きになって廃屋だった住居に電気を引いてくれ近隣にも挨拶に連れて行ってくれた、いわば保証人のような、森町における親代わりのような人だ。
彼の無念さは痛いほどわかった。

弟であるEさんTさんが警察で事情を聞かれているあいだ、高尾からバイクにまたがってアゲちゃんがやってきた。
霊安室で面会したユキツグはドライアイスで冷やされて真っ白、蝋人形のようだった。

北海道からやってくる兄幸夫さんや栃木からやってくる元奥さん息子さん娘さんが着くまでは何も方針が決まらないので、それまでは警察に安置されることになった。
全員でユキツグの住居に行って発見者であるN君、ナベさんの話を聞き、ムラマツさんの家で酒を飲む。
どうにも実感が湧かない。
方々に連絡したり今後のことを考えてはいたが、ユキツグがいなくなったことがどうにも実感できなかった。
さっき見たのはただの蝋人形にしか思えなかった。
明け方になり、ワシはユキツグの工房兼住居にクルマを移動させその中で眠りに落ちた。
妙にリアルな夢を見た。
夢の中でユキツグは怒っていた。

【この日連絡した人】カナちゃん、成川さん、フミトシさん、エイ子さん、P、ロニー、Jくん、Eさん、アゲちゃん、重松、ペー。

●8/2(月)

8時過ぎに目覚めるとガソリンが底をついていた。
慌ててスタンドに行き、ムラマツ家に戻りアゲちゃんとホームセンターに買い出しに行く。
ユキツグ家に戻ると昨日のメンバー、昨日来れなかったメンバーが次々にやってきて、誰からともなしに遺品を整理し片付けが始まった。
すごい数の道具類、作りためてあったたくさんの作品、雑誌、CD、洋服などなど。
里山に面した一面の窓は、冬の名残で雨戸を閉めビニールで目張りをしたままだった。
雨戸を外し、ビニールを取り去ると風が通り抜けた。
「ああ、なんでユキツグはこうしなかったんだろう、バカだな!」
大汗をかきながらの作業はあっという間に終わった。
ムラマツさんは二日酔いだということで現れなかったが、家で友人の住職と連絡を取ったり葬儀屋を調べたり今後の段取りを考えていてくれた。

みんなで町の浴場に行ってさっぱりすることに。
撮影から直行したワシは替えのパンツがない。
コンビニに向かうと、アゲちゃんから電話。
「Tさんも買ってきて欲しいって、Mサイズでいいって」「色の好みは?」「なんでもいいって」
コンビニに着くとまた電話
「俺もなかったW、俺のも頼みます」「M?」「Lがいいな」
ワシは靴下も買った。
あ、ホームセンター行った方が安かったな。。
「おまたせー、パンツ屋が来ましたよ-」

地元のタケちゃんにみんなで入れる食堂を探してもらい、クルマ3台で向かう。
「冷やしうどん定食」がふたつしか残っていないという。
ワシは身を退いて「鯖塩焼き定食」にしたが、正解だった。
「冷やしうどん定食」はトロロがのっかったうどんとご飯と味噌汁だったからだ。
え~~~!

4時頃、ずいぶん昔に別れて連絡もとっていなかったという、元奥さんと息子さん娘さんが栃木から新幹線を乗り継いでやってくる。
30代半ばと思われる息子さんは、工房に立ちすくみ、ヒザをついて拳を握りしめ激しく嗚咽した。
14年会っていなかったという。
いたたまれなくなり、ワシは下に降りた。

東京からカナちゃん、お母さん、P、ブンちゃんがやってくる。
スッキリしてしまった工房を見ている。
蛍が見られるという目の前の小川に黒羽トンボが舞っていた。
そういえばユキツグはここで洗濯していて近所の人に注意されたことがあったとか。

暗くなりかける頃、北海道から幸夫さんが大阪に住む娘さんと合流してやってきた。
まずはムラマツ家に集合し、親族一同でどう事を進めるかの相談。
お兄さんの口からワシなど知らなかったイキサツが語られ、結局普通の葬儀は執り行わずごくごく簡素に火葬だけするということに。
それはそれで仕方のないことだ。
ワシなど異議を唱えるような筋合いではない。

一同で警察へ遺体を引き取りにいく。
遺族も後から到着した面々もユキツグに対面。
同時にムラマツさんが手配した霊柩車が到着し、ナベさんアゲちゃんは役所に死亡届、火葬許可の手続きに走る。
翌日の11時半から地域の火葬場で焼くと決まる。
霊柩車がムラマツさんが話をつけてくれた知り合いの寺に出発する段になって、息子さんたちは終電車の関係で帰らなければならないことがわかる。
「いいのかっ!これで最後なんだぞっ!?」
Tさんが声を荒げる。
「いや、もう。どうしようもないんです」
深々と頭を下げる彼らに、何をどう言っていいのかわからなかった。
名を聞くことも出来なかった息子さんに、ワシはただ「元気で!」としか言えなかった。

急な坂を登った山の中の寺の、広い本堂には棺と住職の好意で花とぼんぼり、焼香台がしつらえてあった。
手続きを終えて到着した頃は、更に人が増えてそれぞれ思い思いに棺を覗き込み、思いに沈み、ときには悪態をつき、ほとんどが普段着の通夜となった。
お義理で来ている人はひとりもいない。
そそくさと帰っていく人もひとりもいない。
逝ってしまったオトコに対する思いを、みんながそれぞれに抱えて集まっている、そんな通夜だった。
雨が降り出した。
思いをこらえきれずに泣き出す男女、暴れる男。
そうだ、なにもこらえる必要などないのだ。
それぞれがそれぞれに。
やがてはそれぞれが広い本堂に転がって眠った。

●8/3(水)

7:30、クルマの中でムラマツさんに起こされる。
顔を洗って山を下り、昨夜不備があった書類を提出し直すために町役場へ向かう。
酒気帯び運転なんてモノではない、ワシはまだ酔っぱらっていた。
さっきまでお兄さんたちと車座で呑んでいた老酒がカナリ利いている。
役場から戻るとすでに9時半。
朝飯買いだしコンビニ隊が戻り、新たな会葬者現れ、バタバタと出棺前の読経が始まる。
ムラマツさんの友人でもある住職は「今まで縁がなかったが、これが縁というもの」と「最後までおつき合い致します」と立派なお経をあげてくれた。
業者による賑々しい祭壇や花輪はなかったが、結局立派な葬式になった。
ただそのあいだ、「この和風の(曹洞宗だとか)送る儀式はいったいどうなんだろう、故人はアイヌプリで送られたかったのでは」などという考えが頭をよぎった。
まあしかし、それは叶わぬこと。
その叶わなさ自体が、ユキツグの生き方だったのかも。
あるいは、今のアイヌのあり方そのものなのかもしれない。
「正式な葬儀はやらない」と東京方面には伝えてあったため、来ることを断念した人もいたはず。
来れる人は来てもらうべきだったな、と後悔がチクリと胸を刺す。

1時間かけてその近代的な焼き場へ移動し、棺に最期のお別れ。
Pが菊を一輪ちぎって棺へ入れ、幸夫さんたち遺族がそれに続いた。
最後にはユキツグはたくさんの花に囲まれて、炉の中に消えていった。
ユキツグが焼かれているあいだ、皆は三々五々メシを食ったり煙草を吸ったり談笑したり、冗談を言い合ったり。
そんなもんだ、それでいいんだよ、ヤツは旅立ったんだから。

栄養不足でアルコール漬けになっているからボロボロなんでないか、との予想を裏切って焼き上がった骨はずいぶんしっかりしていた。
頭骨も顎の骨もガッシリと骨太だった。

一部は東京へ戻り、遺族、その他の会葬者はまたユキツグの工房へ。
幸夫さんなどはまだ工房を見ていなかったのだった。夥しい道具や作品は居合わせた人に形見分けすることになった。
弟子や思いのある人たちがこれからも使ってくれれば、それに越したことはないだろう。

最初に集まった面々がムラマツ家に集まり、発見時の様子や最期に会ったときの様子などを改めて聞く。
ワシにとっての謎はいくつか残ったものの、それは考えても仕方がないことかもしれない。
もとより合理的に行動する人ではなかったのだから。

夕方、高速道路へ向かう山道で、異様な空を見た。
雲がいくつものヒダになって連なり、その後ろから赤い夕日が差していた。
葬式帰りの空には誰もがなにかを感じたがるモノなのかもしれないが、ワシもやっぱりナニカを感じ取ろうとした。




【事実】


8月1日午後一時頃、静岡県周智郡森町天宮の自宅兼工房を訪れた工芸仲間・N君に遺体で発見される。
ちょうどその日、浜松で開催されるクラフト展にナベさんと3人で行くことになっていた。
発見時は工房の畳の上に仰向けに下着のまま大の字になって倒れていた。
眼を見開いて険しい表情のままだったが、苦しんで暴れた様子はなかった。
検死結果によると死因は「心不全」。その原因は検案書には書かれていなかったが、栄養失調、および熱中症といえるのではないか。
10日前にN君の家に泊まったときにはおそらく暑さで衰弱していたものの、食事もして特に変わった様子はなかった。
最近は前にも増して酒量は増えていたようで、それが暑さで弱っていた身体に追い打ちをかけたのではないかと思われる。
死亡推定時刻は同日午前4時頃。約8時間後に発見されたわけで、熱暑の中でも遺体に傷みは見られなかった。
住居兼工房は20年以上空き家になっていた地域の集会所(木造2階建て)で、一階は農具小屋、二階は畳敷きの20畳あまり。
その二階部分を家賃無しで借り受けていた。
当初、電気水道ガスはなかったので、蝋燭を灯りに使っていた。
本格的にそこに住むことを決めて東京から再訪した2009年1月にはムラマツ、ナベさん始め地元の有志により電気が通じるようになっていた。
水道は古くなった管を交換する必要があり費用がかさむため、とりあえずポリタンクでムラマツ宅から水を調達していた。また煮炊きにはカセットコンロを使っていた。
300メートル程のところに住む庭師ムラマツさんにしょっちゅう晩飯を御馳走になり、奥さん宣子さん(現在体調悪く入院中)にもとても親しまれていた。
数キロ離れたところに住む画家切り絵作家ナベさんも気をかけていて、10日前に訪ねてくれていた。
瓢箪ランプ作家N君は暑くなってからは週に一度は訪ねてくれていた。
発見時、なぜか一階の表札は外され、窓も閉め切ってあった。
当初、財布・携帯電話が見当たらなかったため「物盗り」も疑われたが、階下入り口付近に置かれていたボストンバッグの多量の洋服の底に発見された。

遺骨は幸夫さんが阿寒に持ち帰り、藤戸家の墓に入れることが決まったそうです。

享年57歳。










逃避

まー、ヒマなことこの上ない日曜夜のジョーム。
連休明けなもんだから、モノスゴク暇。
土日は地元吉祥寺で仕事した方がエエというのがウチの会社での常識だが、それでもへそ曲がりなワシは都心に出て行く。
あの外苑前の蕎麦屋で昆布とピーマン天ぷらの蕎麦を食わないと気が済まないということもあるが、安全策ではない美しいナニカを求めて行く。

しかし、今日は頭痛がするし、客はいないし、にわかに身近な将来に不安を覚えたこともあって方針を変えた。
というよりも、今夜はどーも居心地が悪い都心から逃げ出した。
疲れが溜まっていてどーも頑張ったりする気がしなかったんである。
一路、武蔵野方面へ。
投げやりに走っていけばそういうときこそ意外にいい客が暗がりから手を挙げたりするもんだ。

結局誰も手を挙げず、というよりも人を見かけないうちに吉祥寺に着いてしまった。
あー、だらけたタクシーの山。その中に同僚の姿もちらほら。
コリャイカン。いやだ。
そうだ、アソコへ行こう。
東八道路へ出て、こないだ世話になった府中試験場方面へ。
その手前の細い道を右折していくと、奇妙なトコロへ出ることをこないだテレ朝からネーチャンを送ってきて発見したのだった。
ゴミ処理場の脇を通ってミニ凱旋門のような狭いゲートを抜け、「コタン」という唐突な北海道料理屋を過ぎていくと広大な野川公園とつながった野趣あふれる武蔵野公園に出る。
ここは公園のなかでもかなり奥まっていてクルマ一台通れる荒れた道が一本だけ延びている。脇は手入れされていない竹藪だったり空き地のような畑だったりで寂しいことこの上なく。アタマにローソクを二本立てた狂人が走り回っていてもまったく不思議でない。
そこがワシはなぜか気になっていて、その竹藪のそばにクルマを駐めた。
エンジンを切る。
まったくの静寂で、あの迷惑な明るすぎる街灯もない。
シートを下げ背もたれを倒して眼を閉じる。
ザワザワとハトヤマとは別次元の「思い」が沸き上がってくる。
その「思い」はだんだんと強くなり、「すべてがどうでもよくなった」と語る通り魔や放火犯の気持ちもこれに似たものなんだろう、と独りごちる。
開放的なまでの絶望を感じて疲れ果て、眠ってしまう。
人もクルマもまったく通らず、風が竹を揺らすこともない。
新車の匂いを充満させた狭いクルマの中で、ひとり繭の中にいるように覚醒した眠りに落ちる。
紡いでいたのは糸ではなかった。
眼を閉じながら、窓から誰かが中を覗き込んだような気がしたのは、夢だったか。

モンゴルの風

ちょっと前に、モンゴルの相撲取りをのっけた。

夜11時頃、青山通りで二人連れが手を挙げた。
乗ってきたのは妙に額が狭い角刈りにジャンパー姿の大きな男とやたらケバイ化粧の太めの女。
「両国!」
威勢よく男が言った。
ああ、相撲取りだな。
デカイし、重そうだ。

車の中で相撲取りとその妻か恋人らしき女はしゃべくり笑いまくり、上機嫌だった。
その言葉は、たぶんモンゴル語。今まで聞いたことのない、ロシア語に近い鋭い感じがする言葉だった。
力強いが鷹揚で、こまかいことなんか気にしない。ワハハハ笑って女の尻を触ったりしている相撲取りに嫌な感じはなかった。まるで昔の中国のブロマイドみたいな原色化粧の女も、やはり明るく鷹揚でしかも相手を立てていた。
そんな二人を見ていて、ワシはモンゴルの草原を思い出した。もちろん行ったことはないが青く高い空の下冷たい風が吹き渡る青い草原を思い出した。馬や羊を連れて遊牧する生活。ウィ~ウィ~と響くホーミー。
彼がこのチマチマした東京で暮らすのは大変なんじゃないかと思い、またこの草の匂いがする大男と対戦する日本人力士も大変じゃないか。
なんとなくモンゴル出身力士の底力がわかったような気がした。

大きなホテルに着いて、男は「アリガトさん!」と降りていった。女は4000円ほどの料金を珍しく全部500円玉で支払った。ズッシリと重い500円玉を受け取りながら、そうそう、慣れない外国では硬貨が貯まっちゃうんだよな。いいですよ、かえって助かりますよ。

ドアを閉めて500円玉をしまっていると、一枚変わった500円玉があった。
大きさも重さもソックリだし「500」と書いてあるが、明らかに500円玉ではない。
サヨナラだけが人生さ!


きっとモンゴルの硬貨だろう。
サヨナラだけが人生さ!
それとも北朝鮮あたりか?
悪意は感じなかったので、そのまま頂き珍しいと思ったので家にとってある。

それに関して思うこと

テクシドライバとしてのワシは、大体近寄らないほうがエエクルマを分かってる。
まず、ベンツ、レクサス(いずれも白系)。AMGとか書いてあってホイールがピカピカだと余計ヤバイ。フェラーリとかランボルギーニは当然だが、ハマーはほぼ例外ない。
キャツらは道の真ん中に駐めておいてもいいものだと思っているし、ウインカー出さずに曲がる、むちゃくちゃな割り込みなんかヘーキである。

運転してるヤツの顔を見ると、やっぱりそういう顔してる。

しかし、ポルシェだけは違うような気がする。
オキャネ持ちにもやっぱしイロエロあるし、クルマの選び方で人がわかるというもの。