爆弾のようだった。


どんなことがきっかけで爆発するかわからなかった。


K「は?どこいった?ここ置いてたのに。ほんまいらいらする。きもいねん」


そういってあちこちにものを放り投げ、ぐしゃぐしゃにして外に行く毎日だった。


たまに早く帰ってきても、12時ごろにセリから電話がかかってきて結局朝帰りなんてことの繰り返しだった。


セリのInstagramをみると、必ず一緒にうつっていた。


お金ないのに、私とは行ったこともない中華料理の店、チーズ専門店いろんな店に行っていた。


私とはといっても私とでかけるときにお金なんて出してもらうことはほぼなかった。

仲良かったときでも。


出して当然のようであった。



先輩が後輩に数万円奢るのが当たり前の私立医学部体育会系部活に入ってるせいか、年上が出すのは当たり前のようだった。



先輩にはその対価として敬意が払われたが、私には暴力と暴言が返ってきただけだった。


Kは長年アメフトとラグビーをしてきたから、暴力といっても生易しいものではなかった。


ある夜久しぶりに普通に話してきた。


K「海が車買ったから山奥に二泊ぐらい車中泊してくる」


私「そうなんや、じゃぁ車買ったお祝いに海に小さいテーブルかってあげるよ。楽しみだね」


K「うん」


Kが友達になにかプレゼントするときも、かわりに選んで買っていた。


Kからのプレゼントになるから彼の友達のなかでの評価があがること、友達にいいとこを見せれるようにとの配慮だった。


バイトもしてないし、学校遠いし、できることしてあげないとと、すべてをKに注いでた。でもこのころはもう心も身体もずたずただった。

毎日の暴言と睡眠不足で蝕まれていった。


つらかった。



テーブルがとどいた日も、終電すぎていた。


何回も何回も電話して、ようやく出てくれた。


K「なに?なんのよう?しつこいねん」


私「終電すぎてるし、明日も学校早いやん。」


K「で?お前ほんまにうっとおしいねん」


涙でてきた。毎日毎日怒鳴られて、お金も渡してご飯も作って、家に帰ってくるのは着替えを取りに来るのと少しの間寝るだけのため。


私「便利なやつとしか思ってないよね?」


K「は?お前のどこが便利やねん。しつこくラインしてくるし、うるさいし、きもいだけやんか。お前に気持ちなんてないねん。はよ別れてくれ。で、何の用いまは?」


私「海にあげるテーブル届いたから」


K「あーどうも」


そういって電話をきった。


その日も帰ってきたのは早朝だった。


もう優しいときなんてなかった。


でも、それでもまだKのことが好きだった。


いつか優しくなってくれると期待していた。


なぜそんな風に思えたのかもわからない。


でも、希望や期待があるからこそがんばれた。


不幸だったけど、それでも幸せだったのかもしれない。


悲しいことに。これでも幸せだったのかもしれない。