Kは、性格がかわいく、でも怖いこだった。


交遊関係が広く、すぐだれでも友達になった。

自信にあふれ、迷いが一切ない、スポーツで培った自信だった。


有名私立高校出身だけれど偏差値50もないのにスポーツも勉強も超一流のK大を現役で受けて

ふつうに落ちた。


彼の友人、偏差値38からセンター試験92%まであがった生徒の紹介で出会った。


その友人生徒はスポーツにあけくれ、家庭教師二人もつけてたのに偏差値40超えたことなかった。

家庭教師が私変わってからの成績上昇は部活の中でも後々うわさに上るほどだった。



彼の見た目は賢い、まじめとは程遠く、いままで不良、不登校からインターナショナルスクール、灘高校の生徒までたくさんの生徒を見てきたけど、どこにもいないタイプだった。

彼との授業は楽しかった。

性質が狂暴だから緊張感もあった。

あっという間に時間がすぎた。


そのおかげか、成績も一月半で偏差値10もあがった。


途中3ヶ月ぐらい明らかやる気のないときもあった。


ほかの生徒からKがかなり遊んでると聞いた。実際好きな女の子もいたし、つきあってもいないのに膝枕してもらう女の子までいたのも知ってた。

遊んでるとは私にはいわなかったが、授業での雰囲気でわかった。


わからないとつっかかってきて間違ってるのにブチギレのときもあって辞めたくもなった。


でも性格的にそんなに嫌ならやめる?なんて一度言ってしまったら終わりということもわかっていた。


耐えた。


9月に悪い成績が帰ってきた


K「どうしよ」


私「わかってたよ、だってさ、3ヶ月ぐらい遊んでたやん。」


そこから各教科しきりなおし、必要な問題集についてもアドバイスした。


成績も再びあがった。


第一志望もA判定になった。


第一志望はK大だった。


医学部ではない。親ののぞむ医学部なんていかない。言い出したら絶対に聞かなかった。


K大をうける前の私立滑り止めは合格した。


彼の成績なら合格するにきまってた。


K大も合格するにはずだった。


私は医学部にいってもらいたくて、滑り止め?K

大のためのモチベになるよと大阪医科薬科の後期に出願してもらった。


絶対に医学部受けないというてたが、K大練習という言葉にひかれて出願してくれた。


彼は私を信じてた。一緒に合格を勝ち取ってくれると。


K大の合格発表のときと大阪医科(当時)の入試は同じ日だった。


K「テスト中に発表だから代わりに合格発表みて」


生徒の合格発表をみるなんて長い家庭教師経験初めてだった。


私「えーーいいの?わかった」


そんな風に信じてくれるのが嬉しかった。


合格を確信してインターネットをみた。わくわくしてた。


ない!ない!ない!


何度みてもない。


涙でてきた。


彼の気持ちを考えると。


どうしても高校からしてきたスポーツをあの大学でやりたいと言ってた。


まさかこんなことが。。と思った。


電車の中で涙がでてきた。


悲しくて悲しくて仕方なかった


テスト終わった彼から連絡があった。


K「数学始まる直前にみて落ちてるのわかった。


逆に落ち着いて数学できてると思う。


たぶん合格してるよ、大阪医科一次。」


私「そっか。よかった」


それしか言えなかった。


彼は公立中期も国立後期も合格した。


医学部ではなかったけど、彼は医学部行きたいわけじゃなかったからそれでよかった。