振り返り記録 思春期編を本日もだらだらと長文で。

 

高校時代

・同じ中学校からの知り合いはたいして話したこともない子が一人二人いる程度、あとは全員知らない人、という環境に飛び込む。1年目はまたもおもしろくなかったがクラス替え後の2-3年目は非常に楽しく過ごした。小中の頃と違い、高校で仲良くなったグループメンバーとはその後今に至るまで付き合いが続いている。大変ありがたいことだ

・上位カーストでもなく、中堅でもなく、なんかなんとなくどこにも属せないな~みたいな人たちが集まったグループの中にいた。それがとても楽しかった。

・ちなみに入った学校は女子校である。受験したときは共学かどうかということは結構どうでもよかった。しかし少女漫画大好きっこだったので共学&高校時代の恋愛というものへの憧れをその後しばらく引きずった。笑 女子校だからってよそに彼氏いる子いくらでもいましたけどね…つまり自分の問題ですね

・受験期~この頃くらいまでがオタク活動全盛期だった。あけすけに言うと小説とか書いてアップしちゃったりしてた。身近にもオタクがいることが判明しその子とよくオタク会話に花を咲かせていた。稚拙ながら、自分で創造し(ほぼ二次だったけど)想像や思いをアウトプットするというのは非常に充実感があった。創作活動自体は特に才能もなく、また遅筆だった。作品の出来不出来にかかわらず、次から次に書きたいものが浮かび最後まで書き上げることができる、ということがまず一つの才能なのだということを思いしった。

・オタク充すぎて自分自身のリアル恋愛というものは想像ができなかったし先に言うと大学に入ってから初めて彼氏ができたのだがオタクである自分とリアル恋愛をしている自分とで激しい乖離があり、高校時代までの友達には恋愛相談しばらくできなかった、恥ずかしくて。え、オタクのお前が?みたいな感じになりそうで。(いい子たちばっかだったからたぶんそんなことにはならなかったが)中学でも高校でも、趣味の話や所属している環境についての話については非常に盛り上がったり楽しく会話したりできていたのだが、それ以外の話題について会話するという概念が私の頭にはなかった。どう話していいかもわからなかった。大した悩みがなかったということか?いや人並に反抗期とかもあったし友人関係についての悩みもなくはなかった。まあ幸いヘビーな悩みがないノーテンキ人生だったというのも大きいと思うが、思い返してみると人に悩み事を相談するというのがたぶんこの頃まで経験がなかった。親に相談もしたことない。記憶の限りでは。きょうだいにも。友人にも。いやしてたのか? 記憶ない…

・この頃の悩みといえば制服がダサかったことと親への反抗期くらいという極めてしあわせな人生を送っていた。

・わたしは親は好きだし大事にしたいと思っている。毒親だったというつもりはない。全くそうではない。ただ少し過保護で過干渉だった、やや。上のきょうだいに対してはわりと放任してるように見えていた分、なぜ、という思いもあった。今自分自身が親となってみればまあ過剰な行動だったと思うエピソードもなくはなかったが、心配や愛情からくるものだったとふつうに理解できる。ちょっとねじはずれてるようなところもあるけど。一般常識をあまり教えてもらってこなかったような気もするけど、わたしの受信レベルが往々にして低かったので教えてもらってないわけではなかった気もする。たとえば手土産やプレゼントという概念。それに気が付いたのはたぶん社会人になってからである。遅すぎ~ 遠方からくる友人が手土産でたびたび色々なものをくれていた。私は何も考えずにありがとーとただ受け取るだけ受け取っていた。あほか。仮に親から教えてもらってこなかったことだとしても、きちんと事象を受け止めていたら「あれ、これって私はもらいっぱなしでいいのかな? 次はこちらも持ってくるべきだな?」と思い当たるはずである。が、それに気づいたのが10年近く経ってからだった。まじで友達付き合いを続けてくれた友人には申し訳ない気持ちと感謝の気持ちと好意でいっぱいである。

・話は逸れたが高校大学の頃わたしは反抗期まっさかりであった。基本はガーガー行ってくる親に無言でスルーしたり不機嫌な態度取ったり不遜な態度をとったりとサイレント反抗期な感じだったが、一度だけ友人についてあーだこーだと言われたとき、わりと怒鳴って言い返したことがあったな、と思いだす。そんなもんでも大人になってからはむしろ世間一般的にはかなり仲の良い家族関係であるとおもう。しょっちゅう実家にいったり一緒に旅行に行ったり。ていうか反抗期中でも親と私で旅行行ったりはちょいちょいしてた。てかしょっちゅう車で送迎してもらってたりしてたし。家のこと全部やってもらってたから家事とか何にもしてなかったし。私の反抗期なぞその程度のものであった。

・この頃オタク活動のほかカラオケにも熱中していた。カラオケ好きの友人たちとちょくちょくフリータイムで熱唱し続けたり好きなアーティストのMV見てギャーギャー言ったり笑い転げたりしていた。青春~ 歌うことが好きだと自覚してきたのはこの頃から。

・エスカレーターで大学へ進めるところだったので、大学受験はしなかった。そして高校入学後はまあ馬鹿になった。すぐ授業についていけなくなった。英語の授業、最初は簡単すぎると思って授業中寝てたりしてたら数か月後には何も分からなくなってたのはいい思い出(?) そういえば塾の講師に「あそこは入ると馬鹿になる高校だ」なんて言われてたのを思い出す。あ、普通にまじめに授業を受けていた人たちはきちんと頭良いままでしたので私がばかなだけです

・行事に力を入れている学校だったので行事系は非常に盛り上がったし楽しかったし自分自身もかなり熱を入れていた。このあたり、創作活動に近い熱気があった。あれやこれやと考えて話し合ってアウトプットすることは楽しく面白く充実感を得られるのだった。

・部活動では初めて上下関係というものを知った。良い意味で。人の目を見て話を聞け、と怒られたのは衝撃的だった。自分ってそんなこともできてなかったんだ、普通はそうするものなのだ、と。そしてきちんとそう叱って指導してくれた先輩ってすごい。叱るって面倒だし大変なこと。不機嫌に当たり散らすこととも異なる。難しいことだと思う。しかもいい感じのゆるさもあった。思えばかなり人の出来た人たちだった。動物以下の脳みそしてた私を人間の方向へ押し戻してくれた人たち・環境だった。あたらめて感謝している。指導されること、指導すること、努力すること、それがかなわない時もあること。同期の試合が誤審と思われるような内容でだめになってしまったとき、私は本当に悔しくて泣いた。今でも悔しく思う。でもそういうのも良い経験だった。

・続・部活動。ちなみに自分自身の試合や上達具合については割とどうでもよかった。それなりに楽しく過ごせたらそれでよかった。役職もやりたくなかったから適当な役についた。向上心や責任感のかけらもない人間だった。そもそも運動神経も体力もないタイプの人間だったので上達できるとも思っていなかった。むしろその割には上出来だったほうだ。途中からいわゆるスランプ的なものに陥ったが、そういう精神でやっていたのでさほど強いショックもなかった。やだなとは思ったけど。

 

 

大学時代

・高校からの持ち上がりで入った大学。学部も、漫画とか好きだし文学部でいいか~競争率も低いし~くらいのまじであほな気持ちで決めた。(人気の学部には成績上位〇名までが行ける、みたいな制度だった)就職などの先のことは何も考えていなかった。特別学びたいものがあるわけでもなく、ばかな大学生そのものだった。

・高校までやっていた部活はあっさりとやめ、大学では全く別のサークルに入った。バンドサークルである。友達がバンドサークルに興味があるというので、私もカラオケ好きだし~とほいほいついていった。最終的に楽器はほぼやらなかった。でもライブはとてもたのしかった。

・私の大学生活≒サークル活動に終始した。ライブ活動自体のおもしろさ、が半分。人間関係が半分。音楽系のサークルって人間関係ぐっちゃぐちゃよね。そういう感じです。わらい

・これまで生きてきて、基本 人のことはすきだった、でも深い興味がなかった。自分自身に対しても。そのあたりに強烈に意識がいくようになったのが大学生の時、サークルに入ってからである。世の中っていろんな人がいて、あまりにも魅力的なのだ、と知った。そんでもって高校は女子校だったので、気が付くと男子という生き物がみな大半が背が伸び声が低い生き物になっていた。ちょっと慣れるまでこわかった。高校は化粧禁止だったので、大学に入った途端女子たちがいきなりきらびやかになっていて、それにも圧倒された。英語ペラペラな子とかごろごろいて、カラオケ行ったら洋楽とか歌っちゃってんの、めちゃいい発音で。すげー。高校時代ですっかりあほの腑抜けになった私にはまぶしすぎた。仲良くなりたい気持ちが募る一方、ようやく人間になりかけた幼児程度の精神年齢だったわたしは、まあ色々やらかした。完全に他人と自分とを区別できていなかった。今の時代よりもややゆるかったため、大学1年生、まだ未成年でしたが、みんなお酒とかたばこデビューしちゃったりしてた。たばこ嫌悪していた私は、仲いい(と思ってた)同期の女の子がスパスパ吸い始めちゃったとたん、えらいショックを受けた。何なら軽く罵った。いやさすがに罵りはしなかったかな…?でも不機嫌になったりはしてた。相手からしてみれば「はあ?」案件である。ほんとすみません。

・そんなこんなで仲良くなりつつなるも最終的には離れていく関係性が多かった。当たり前である。人間関係って、交友って、ムズカシイ。幼児相当の精神年齢人間にはレベルが高かった。そんでもって当時あのmi〇iが流行っていた。あとは言わなくてもわかるな、黒歴史である。女友達が離れていき、恋人ができたが私がメンヘラ化して振られ、その後別の恋人とは逆にこちらが振ったりすることなんかもあったり、そのまた別の人とはあやふやでよくわからない関係から恋人関係に昇格するも最終的にまたメンヘラ化して振られちゃったり。そんでもって最終的に一時人間関係全部リセットしたくて番号もアドレスも変えて音信不通になってみちゃったり。いやあ、大学時代の人間模様って非常にきつかった。申し訳ない気持ちしかない。でも私には必要な通過儀礼的な時期だったのだろう。

・なおこんな私でも仲良くしてくれる人たちはいた。音信不通のあとずーずーしくも連絡再び取ってみたときに泣いて喜んでくれた子たち。今でも付き合いが続いている人たち、奇特すぎる。ありがとう。でも同期とは基本疎遠になってるの、ですよね、という感じでちょっとおもろい(ごめんなさい)