なみちゃんを始め、
関東に住む友人や親戚達から
メールや電話を沢山もらいました。
私が住む場所は
ほんっとに被害がなくて。
昼休みにニュースを観て驚いた位。
でも思い出しました。
東日本大震災の時、
仙台に住む親戚、
福島に越したばかりの両親と
連絡がとれるまで
本当に本当に心配で心配でたまらなかった。
だから、私のことを
そんなに心配してくれて
連絡してくれたんだなって思うと
本当に本当に感謝です。
ありがたい。
大阪も、場所によっては
家の中がぐちゃぐちゃって言う人も居て
本当に凄かったんだなぁと…
天災は怖い。
今日はどこも公設の学童は休みでした。
うちが通わせている
民間の学童は通常通りでした。
助かりました。
東日本大震災の時は
本当に立っていられなかったそうです。
家が横ではなく
縦にポンポン跳ねていたそうです。
想像がつきません。
近所の人達と外に出て1カ所に集まり、
皆で電柱等に気を付けながら
しゃがんでいたそうです。
その後に「これは津波やばいな」って話になり
即、皆で高台に避難したそうです。
その後、避難所を転々とさせられ
20リットルのガソリンを支給するので
それで好きなとこに勝手に行くか、
全員で新潟に行くと告げられた両親。
「皆で新潟に行くことになった」
メールで知らされて即電話。
調べたら福島空港から
関西行きの臨時便が出ている。
何時間待つのか
いつ乗れるのか
そもそも臨時便がほんとにあるのか
わからなかったけど。
福島空港向かえない!?と説得して。
迷惑をかけたくないから
新潟に行くよと言う父。
説得した!!!
ガソリン20リットル入れて貰って
福島空港に向かった両親。
その前に一旦自宅に立ち寄り
500円玉貯金をしていた貯金箱を持って
数時間後に福島空港に着いて。
数時間後、ラッキーな事に
2人とも臨時便に乗ることが出来た。
難波に迎えに行って
会えたときは
足下から崩れ落ちそうになった。
服装と会話から被災者とわかったのか、
深々と頭を下げてくれた男性もいたな。
「コンビニが明るいのが信じられない」
「コンビニに品物があるなんて」
コンビニは真っ暗で
品物も何もなかったそうで。
しかも原発地区は食料が来ず
もやしのお味噌汁といちご半分が
一食だったりしたんだって。
夕飯を食べに王将に行ったんだけど
未だにあの時食べた王将の味が
忘れられないと言います。
こちらに着いてからは
その日はホテルに泊まった両親。
その後は余っている府営住宅で
受け入れ体制が整っていて
布団・包丁・ポットなど用意してくれていて。
やっとちゃんとした布団で
毎日寝られるようになった両親。
それまで体育館とかで寝てたらしいので。
1年ほど府営でお世話になりました。
壊滅地帯と言われていた
地域に入院していた祖母も見つかり、
(Twitter情報で見付かった)
介護タクシーで大阪へ。
肺炎で亡くなってしまったけど
最後に会えてよかった。
その後、関東に戻ることになった両親。
チビちゅけの出産の時、
近くにいてもらえてよかった。
やっと安心して暮らせるようになって
ほんっとよかった。
今は幸せにのんびりやってます。
天災はほんとに怖い…
チビちゅけは
おトイレに1人で行くのが怖いと言うように。
学校で大丈夫かな。
大阪って普段そんなに地震とかないから
結構皆びっくりしていたなぁ。
