人生も物語りも、大切なのは小気味良いテンポと着地点だ。
しかし僕は、人生におけるどんな選択肢にも、物語りの書き始めにも、着地点を見つけられないまま進んでいく。
選択肢が多ければ多いほど、語る言葉が多ければ多いほど、必然的に訪れる結末に自らの意思は及ばないものなのかも知れないと感じる時がある。
そう言い訳をして、無益に覆いかぶさってくる責任から逃げているのだ。
さて、いつものように、どこで終わるやも知れない物語りを書き始めようと思う。不慣れで稚拙なタイピングに指と心を躍らせて。
彼女からのメールに気づいたのは、一昼夜が経ってからだった。
そもそもここ数ヶ月間、携帯電話のチェックがいやに煩わしい。文明の利器をあえて利用しないという選択は、最新の情報を得ることができないというデメリットを持つ。世捨て人に近い生活をしている僕にとって、それが心地よくもあるのだった。
世の中はクリスマスイブを迎えていた。イルミネーションを飾る街が、居心地の悪さを加速させる季節。凍えそうな夜道に若干迷子になりつつも我が家へと辿り着いた僕は、暗い部屋でチカチカと短い点滅を繰り返してメッセージの受信をアピールする携帯電話を手に取った。
短いメールの文章から察するに、彼女はなんらかの理由によって恋人を失ったようだった。
誠実であろうとした彼女を、彼女が愛した男はどんな風に踏みにじったのか。僕には想像するしかない。それは他人事だからこそ、際限なく飛躍して行く妄想だ。
そんな野次馬根性を隠して返事を打ち込み、彼女が語り出すのを待つことにする。
これは壮大なる彼女の物語りだ。
ここでは仮に、彼女をレイラと呼ぶことにしよう。愛しの麗しの、僕の物語りの中だけに在るレイラ。
あえて言っておくが、レイラは僕にとって、遠いご近所の一角で育っていく一輪の花である。
初めて出会った頃、彼女はまだどんな花が咲くのかも分からない蕾だった。生命力に乏しく、しかしおそらく大輪になるであろう、背筋を伸ばした奇妙な花。
長らく雨が降らなかった時。誰も水をやってくれなくなった時。レイラという名の花は僕に尋ねる。
“あなたは今のワタシに、どんな水を与えてくれますか?”
尋ねられてやっと、気分次第で冷たい水やぬるい水を、そして時にはアルコールを、しょぼくれた花にぶっかけてやる。
花はどんな水分も、素直に享受しているように見えた。僕はそこに、一種のカタルシスを覚えているのだと思う。
自然の成り行きに逆らって水をやるのは、とてつもなく無責任なコウイだ。僕に彼女を摘み取って部屋に飾る度胸があれば、もうすこし違ったストーリーがあったのかも知れないけど。
会う度にその花弁を濃く色づかせて行く彼女に、僕は時折嫉妬する。その目映い過渡期に対してではなく、僕以外からの水分をふんだんに滴らせた艶やかな姿に。僕の胸には言いようもないざわめきが芽生えるのだった。
僕の中のレイラは、それほどまでにいつまでもきれいな少女だった。
レイラからは、一枚の写真が送られてきた。
小さなテーブルの上、かつての恋人が好きだったというトマトジュースのパック。異国の缶ビール。そして、どう見てもよく燃えそうな紙コップの灰皿が並ぶ。
写真の奥には、黒いハイヒールが一方だけ、ひっそりと立っていた。その、アングルさえまるでなってない雑然としたうつくしさに、僕は戦慄を覚える。
彼女のすらりと伸びた白い足にはめ込まれた、不安定なハイヒールを思い描いた。本来あるべき正しい姿勢を打ち崩す、細い踵。
レイラにとってその踵は、長身な恋人の蒼い瞳を覗き込むための武器だったのだろう。あるいは、彼の光る巻き毛に指を絡ませ、その柔らかさを確かめるための。
ハイヒールはもともと、歩くことを計算して作られていない。かつてその細い踵は、道を歩くことすらさせられないほど大切にされている女の印であった。男に愛されている女の印であった。
世のうつくしい女性にとって、ハイヒールは武器ではなく、自らの価値を知らしめる印だったはずなのに。
相棒を失ったハイヒールは、毅然と立っている。立ち尽くしている。それは絶望的なうつくしさだった。現実は、片翼を失い地上へと落下していく天使のようにはいかないのだ。
誰かを愛し、愛されても、己が己以外に変わることはない。誰かを見限り、見限られても、己は消えてなくならない。恋なんてうつくしさの欠片もないと思う。情熱の恋も、趣味の恋も、肉体の恋も、虚栄の恋も、永遠の恋もいつか終わりが来る恋も、総じて。
それでも僕は、乱雑なテーブルの上に投げ出された悲しい踵がいつか、レイラの足元で礼儀正しく揃うことを祈らずには居られなかった。
恋にうつくしさは感じないが、高いヒールを履いて背筋を伸ばした彼女は誇れるほどうつくしいのだから。
この絶望したくなるほど色鮮やかな現実に、そのうつくしさは必要なのだから。
窮屈に折り曲げたレイラの爪先に、やさしく口付けてくれる誰かと出会うまで。
ハイヒールは、遠く離れた異国の地にあるダンスクラブの床を打ち鳴らす武器であっていい。
人生も物語りも酔っ払いの踊りも、大切なのは小気味良いテンポと着地点だ。

しかし僕は、人生におけるどんな選択肢にも、物語りの書き始めにも、着地点を見つけられないまま進んでいく。
選択肢が多ければ多いほど、語る言葉が多ければ多いほど、必然的に訪れる結末に自らの意思は及ばないものなのかも知れないと感じる時がある。
そう言い訳をして、無益に覆いかぶさってくる責任から逃げているのだ。
さて、いつものように、どこで終わるやも知れない物語りを書き始めようと思う。不慣れで稚拙なタイピングに指と心を躍らせて。
彼女からのメールに気づいたのは、一昼夜が経ってからだった。
そもそもここ数ヶ月間、携帯電話のチェックがいやに煩わしい。文明の利器をあえて利用しないという選択は、最新の情報を得ることができないというデメリットを持つ。世捨て人に近い生活をしている僕にとって、それが心地よくもあるのだった。
世の中はクリスマスイブを迎えていた。イルミネーションを飾る街が、居心地の悪さを加速させる季節。凍えそうな夜道に若干迷子になりつつも我が家へと辿り着いた僕は、暗い部屋でチカチカと短い点滅を繰り返してメッセージの受信をアピールする携帯電話を手に取った。
短いメールの文章から察するに、彼女はなんらかの理由によって恋人を失ったようだった。
誠実であろうとした彼女を、彼女が愛した男はどんな風に踏みにじったのか。僕には想像するしかない。それは他人事だからこそ、際限なく飛躍して行く妄想だ。
そんな野次馬根性を隠して返事を打ち込み、彼女が語り出すのを待つことにする。
これは壮大なる彼女の物語りだ。
ここでは仮に、彼女をレイラと呼ぶことにしよう。愛しの麗しの、僕の物語りの中だけに在るレイラ。
あえて言っておくが、レイラは僕にとって、遠いご近所の一角で育っていく一輪の花である。
初めて出会った頃、彼女はまだどんな花が咲くのかも分からない蕾だった。生命力に乏しく、しかしおそらく大輪になるであろう、背筋を伸ばした奇妙な花。
長らく雨が降らなかった時。誰も水をやってくれなくなった時。レイラという名の花は僕に尋ねる。
“あなたは今のワタシに、どんな水を与えてくれますか?”
尋ねられてやっと、気分次第で冷たい水やぬるい水を、そして時にはアルコールを、しょぼくれた花にぶっかけてやる。
花はどんな水分も、素直に享受しているように見えた。僕はそこに、一種のカタルシスを覚えているのだと思う。
自然の成り行きに逆らって水をやるのは、とてつもなく無責任なコウイだ。僕に彼女を摘み取って部屋に飾る度胸があれば、もうすこし違ったストーリーがあったのかも知れないけど。
会う度にその花弁を濃く色づかせて行く彼女に、僕は時折嫉妬する。その目映い過渡期に対してではなく、僕以外からの水分をふんだんに滴らせた艶やかな姿に。僕の胸には言いようもないざわめきが芽生えるのだった。
僕の中のレイラは、それほどまでにいつまでもきれいな少女だった。
レイラからは、一枚の写真が送られてきた。
小さなテーブルの上、かつての恋人が好きだったというトマトジュースのパック。異国の缶ビール。そして、どう見てもよく燃えそうな紙コップの灰皿が並ぶ。
写真の奥には、黒いハイヒールが一方だけ、ひっそりと立っていた。その、アングルさえまるでなってない雑然としたうつくしさに、僕は戦慄を覚える。
彼女のすらりと伸びた白い足にはめ込まれた、不安定なハイヒールを思い描いた。本来あるべき正しい姿勢を打ち崩す、細い踵。
レイラにとってその踵は、長身な恋人の蒼い瞳を覗き込むための武器だったのだろう。あるいは、彼の光る巻き毛に指を絡ませ、その柔らかさを確かめるための。
ハイヒールはもともと、歩くことを計算して作られていない。かつてその細い踵は、道を歩くことすらさせられないほど大切にされている女の印であった。男に愛されている女の印であった。
世のうつくしい女性にとって、ハイヒールは武器ではなく、自らの価値を知らしめる印だったはずなのに。
相棒を失ったハイヒールは、毅然と立っている。立ち尽くしている。それは絶望的なうつくしさだった。現実は、片翼を失い地上へと落下していく天使のようにはいかないのだ。
誰かを愛し、愛されても、己が己以外に変わることはない。誰かを見限り、見限られても、己は消えてなくならない。恋なんてうつくしさの欠片もないと思う。情熱の恋も、趣味の恋も、肉体の恋も、虚栄の恋も、永遠の恋もいつか終わりが来る恋も、総じて。
それでも僕は、乱雑なテーブルの上に投げ出された悲しい踵がいつか、レイラの足元で礼儀正しく揃うことを祈らずには居られなかった。
恋にうつくしさは感じないが、高いヒールを履いて背筋を伸ばした彼女は誇れるほどうつくしいのだから。
この絶望したくなるほど色鮮やかな現実に、そのうつくしさは必要なのだから。
窮屈に折り曲げたレイラの爪先に、やさしく口付けてくれる誰かと出会うまで。
ハイヒールは、遠く離れた異国の地にあるダンスクラブの床を打ち鳴らす武器であっていい。
人生も物語りも酔っ払いの踊りも、大切なのは小気味良いテンポと着地点だ。
