3月3日は雛祭りとオカンの80歳の米寿の誕生日。
日頃、親って当たり前に居る感覚では居るけれど、ほんとオカンには未だに頭が上がらない。
ほんと気丈な母親。
もうすっかりコテコテの大阪人になって居るが、姫路のマッチ工場や名主になる程の家でお手伝いさんが居た程のお嬢様育ち。
おじいちゃんの仕事の関係で姫路・奈良・大阪と移り住み、産みの母親も死別しその後おじいちゃんも2度再婚し、兄弟は9人になった。
戦後、おじいちゃんの仕事の関係で、戦後すぐにマネージャーが付く様な歌手にもなり、選挙応援で歌を歌って回ってる仕事中、ドライバーの親父と知り合った。
当時は結婚しようと言ってた彼氏も居たのに、親父に惚れられてそっちを断って結婚したらしい。
その後、昭和25年大阪の下町に嫁に行く事になった。
お嬢さんが下町の貧乏な家に嫁ぐなんてありえる事じゃ無かったようだが、長男の嫁として姑小姑も居る所に
よう嫁いだもんだと。
小姑からは日頃虐めにもあったらしいが、おばあちゃんがすごく可愛がってくれたらしい。
そのおばあちゃんの50回忌の法要も自分が絶対すると言って出来た事がオカンのおばあちゃんへの恩返しだったようだ。
親父は豪快その物の人で、無類の酒好き。ほんと小さい時には拳骨で頭どつかれるのは当たり前。
酒のお陰で生活出来なかった事もしばしばあったようだ。
ほんと親父の甲斐性も無かったのに、僕を含め7人の子供を華奢な身体でオカンは産んでくれた。
実家では、オカンも色々と商売もし、お好み焼き屋、たこ焼屋、駄菓子屋と僕の小さい頃までやっていた。
実家で親父が工場しだした時に一緒に働いて、子供の頃、機械で指先を切断した事もあった。
ほんと、苦労を苦労と思わず、毎日を明るく過ごして絶対愚痴を言わなかった。
親父が若い頃も浮名を流す事もしばしばあったようだが、そんな事も顔にも出さなかった。
ほんと、今は孫も15人のおばあちゃん。
パチンコと歌が好きで、月一に姫路の墓参りと毎日歩くのと病院が日課なオカン。
別れた嫁や子供にも色々としてくれたり、僕の恋愛事で相手と口論してたりすると、
「男は飛行機、女は航空母艦。 燃料切れたら帰って来るんやから、女がヤイヤイ言うもんちゃう!」
「男は外出たら7人の敵が居るんや!だから女は帰って来たら癒してなんぼやっ!」
「浮気は男の甲斐性、デ~ン!と構えとき!」
それが出来ん女はアカン! 私は認めんでぇ!
と、名言の如く今の時代の女性では無理な事を平気に言って来ます。
ほんと、再婚相手出来たらどないしょ?と思いますよ。
草食男子の世の中なのに、古い考え方なのかも知れんけど、その気構え位持って家を守って欲しいと言うオカンの希望なんでしょうね。
ほんと38キロしかない身体で、根性は凄いオカン。
まだまだ、世話になったり、親孝行したりなさ過ぎなんですが、100まで生きて貰って、ひ孫、玄孫って見て貰いたいですね。

