Coccoで一番思いのある歌。 | 空飛ぶブロブロブログ

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買い物、情報、お金、たわいも無い話。
なんでも書いて、飛ばします。

こんな事ブログで書くもんじゃないけど、この詩を聞くたび姉の事を思いだす。

とある日、携帯がなった。

母親からの電話だった。

「もしもし。」 

「姉ちゃんが! 姉ちゃんが!」と泣き叫ぶ声。

「どうしたん?」

「吊った! くっ! 首を吊った!」

「ええっ? なんで?」 

姉はパート先で虐めに合い、その後欝になってしまい、旦那は全く理解をしてもらえず、躁鬱状態が続いた為、泣く泣く二人の子供を残し出戻って、療養しながら少しずつ働いて頑張っていた。

「今から行くから、落ち着いて救急車に連絡して!と電話を切った。」

当事、僕は元嫁が急性腎盂炎で緊急入院していた為、自宅に居た。

自転車で3分位の場所へ猛ダッシュし、実家に飛び込んだ。

すると、姉は横たわっていた。

38キロしかない、母が火事場の馬鹿力をだしたのか?姉を抱えて、吊った紐を切ったようだった。

姉の顔は見るに耐え無い程の赤紫。

変に冷静に居た僕は、吊った時間を逆算し無駄と分かっていたが、すぐさま蘇生に入った。

そこで、悲しみと憎しみをこらえながら、必死に姉の胸を何度も何度も押しまくった。

「なんでやねん! なんでやねん! ほんまにぃ! ねえちゃん! おきてや~!」

「救急車まだこうへんのんか?」 と母に何度も聞きながら何度も何度も胸を押していた。

ほんと経験上、訳あって死人と言うか死体は良く見てるのでなんの躊躇もしない。

会社の近所でホームレスが死んでいた時も、誰も触って確かめる事もしなかったが、手を上げたまま

死んでいたホームレスの脈を取り、瞳孔を確かめて連絡した事もある。


少し時間が経ってから、救急車が来て救急隊に姉を任せた。

蘇生をしてたせいか、赤紫になった顔も普通に寝てるまでの顔に戻った。

しかし、首についた傷は消える事は無かった。

病院に運んで貰ってる間、母がそっと小さいメモを見せてくれた。

「おかあちゃん、ごめんなさい。・・・・・」

ほんとそれを見て益々憎しみと悔しさが増してきた。

しかし、もう遅かった。 幾ら憎んだって姉は帰って来ない。

しかし、姉はこれで解放されたんだ、楽になりたかったんだなぁ。とも思った。

変に生きていて苦しむより、楽になる方を選んだんだと。

姉の生きた年を越えるようになって、自分自身も生と死を考える様になった。

人は悲しみを越える毎に、強くなって行く。

人は悲しみを越える毎に、優しくなって行く。


この当時、バンドでCoccoをやっていたので良く聴いていた。

葬儀の途中、何故かこの詩がずっと僕の頭の中で聞こえていた。


「遺書」


私が前触れもなく
ある日突然死んでしまったなら
あなたは悲しみに暮れては
毎晩 泣くでしょう。

2人で行くはずだった島と
夜景の奇麗な坂道
叶わぬ明日の地図を見て
自分を責めるでしょう。

骨埋める 場所なんて いらないわ。
大事にしてたドレスも、写真立ても
ひとつ残らず焼いて。

そして灰になった この体を
両手に抱いて
風に乗せて あの海へと
返して下さい。

例えば何かがあって
意識さえ無い病人になって
あなたの口づけでも
目覚めないなら お願いよ。

その腕で終らせて
そらさずに最後の顔 焼き付けて
見開いた目を 優しく伏せて。

そして灰になった
この体を 両手に抱いて
風に乗せて あの海へと
返して下さい。

いつか誰かまた求めるはず。
愛されるはず。
そうなったら幸せでいて。
だけど、私の誕生日だけは
独り、あの丘で泣いて。
裸のまま泳いだ海。

私を 想って。