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※座談会の御書解説

・通解

幼くしてなくなった娘御前の十三年忌に、一丈(じょう)六尺(しゃく)の卒塔婆(そとば)を立てて、

その表に南無妙法蓮華経の七字を書きあらわして追善供養された。

 

北風が吹けば、卒塔婆の南にある海の魚は、その風にあたって大海の苦悩を離れ、

東風が吹けば、卒塔婆の西の山の鳥や鹿は、その風に触れて畜生道をまのがれ、

 

都率(とそつ)の内院に生まれるであろう。

まして、この率塔婆の建立を喜び、手に触れ眼に見ることのできる人々の功徳はどれほど甚大であることか。

 

亡き父母も、この率塔婆の功徳によって、天の日月のように浄土への道を明るく照らされているであろう。

 

また孝養(こうよう)を成した人とその妻子は、現世には百二十才までも寿命を伸ばし、

後生には父母と共に霊山(りょうぜん)浄土に行かれるであろう。

 

このことは、水が澄めば月が明らかに映り、つづみを打てば必ず響きがあるように、

間違いないことであると確信しなさい。

 

・解説

中興入道負債は、亡き娘の十三年忌に当たって、塔婆を建立し追善供養をしたようでありますが、

日蓮大聖人は本抄において、塔婆供養の大事を懇切(こんせつ)に示されています。

 

つまり、塔婆の建っている所を吹きぬけた風が、その身に当たっただけで、

風下一帯の魚や鳥は畜生道から救われる、との功徳を示され、

 

いわんや、塔婆建立を賞賛し、眼でみて実際に手を触れることのできる人の功徳は、

計り知ることができない、と仰せられています。

 

この塔婆供養については、釈尊の経典にもその功徳は記されています。

 

塔婆は、地水火風空の五大を形として表しており、そこに個人の名を入れることによって、

個人の仮の身体とし、さらに題目(南無妙法蓮華経)をしたため、

 

「此中已有如来全身」との経文を書かれることによって、

この塔婆は、すでに仏の御身体となり、仏と亡くなった人が一緒におられるということを示すのです。

 

そして、この塔婆を当、日蓮正宗寺院において御本尊の御前に立て、

御僧侶の導師(どうし)で読経・唱題をいたすとき、

 

御本尊に唱えた題目の功徳が、塔婆を通じて故人に回向され、

故人の生命は成仏の境界へと導かれるのであります。

 

「死」によって、主体的な意思、活動をすべて失い、生前の謗法(ほうぼう)の果報によって、

地獄の極苦を感じ続けている故人の生命にとっては、

 

この塔婆供養こそが唯一の救いへの道しるべであり、また、残された家族・縁者にとっても、

先祖への最大の孝養となるのです。

 

そればかりではなく、先祖と自分達の生命は明らかに繋がっているのですから、

先祖が堕獄(だごく)の苦悩に沈んでいれば、生きている遺族にもその苦しみが影響を及ぼすことになります。

 

したがって塔婆供養によって、先祖が地獄の苦から救われるならば、

生きている私たちの身にもその功徳は巡って、

「現世に命を百二十年たもちて・・」

と仰せられているごとく、長寿を得たり、災禍(さいか)をまのがれる等の果報となってかえってくるのであります。

 

また、大聖人は、四条金吾殿にあてた御書の中で、

 

自分は何一つ不自由ない豊かな生活をしていながら、親や先祖の法事も営まず、

追善供養をおこたるならば、故人はどんなに恨みに思うことでしょう、と仰せられています。