※座談会の御書解説
・顕謗法抄(けんほうぼうしょう)
・通解
けら、アリ、あぶ、等の子虫を殺した者も懺悔(ざんげ)しなければ、必ず地獄に落ちる。
たとえば、どんなに軽い針であっても水の上に置けば沈んでしまうようなものである。
また、ざんげしても、ざんげのあとに再び同じ罪を作れば、あとあとのざんげではこの罪は消えがたい。
それはたとえば、盗みの罪で牢に入れられた者が、しばらくしてから許され出獄したとしても、
また罪を重ねて盗みを働いて投獄されたならば、今度は出獄が許されないのと同じである。
・解説
本抄は、弘長二年、御流罪の地・伊豆の伊東より、門下一同に与えられた御書です。
まず、「八大地獄」の様相と、それぞれに堕ちる「業因」を明かされ、
無間(むげん)地獄の苦悩は他の七大地獄とは比較にならない大苦悩であること、
「五逆罪(ごぎゃくざい)」と「誹謗正法」の二つが無間地獄に落ちる業因であることを明かされ、
いかにしたらその罪を消すことができるのかを示されています。
五逆罪とは、①父を殺す(殺父[せつぶ])②母を殺す(殺母[せつも])
③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢[せつあらかん])
④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血[すいぶっしんけつ])⑤教団を分裂させる(破和合僧[はわごうそう])の五つ。
誹謗正法は、末法の「今」にいたって、唯一真実の教えである、
「日蓮正宗」の教えを信じず、他の世間にはびこる「方便の教え(浄土・浄土真宗、真言、曹洞等」や、
他の法華の教えなどの「邪宗」に染まり、真実が分からなくなり正法を中傷・誹謗すること。
大聖人は本抄において、過去から集積してきた「罪障」を消滅し、現在から未来にわたる真の幸福を獲得するためには、
ざんげが極めて大切であると教えられています。
私たちは、過去遠々劫(かこおんのんごう)(今まで生まれ変わりを繰り返し過去世から積み重ねてきた業)より、
正法正義に背いて謗法(ほうぼう)を繰り返し重い罪業を積んできてしまいました。
その罪業ゆえに、現世において、さまざまな悪業に苦しみ不幸を感じるのでありますが、
たとえ、正法に帰依したからといって、それだけで過去に作った罪業が帳消しになるわけではありません。
毎日の朝・夕の勤行、唱題。菩提寺に通い、ご住職から仏様の教えを拝聴し、行学に励み。
戒壇のご本尊である、南無妙法蓮華経如来様を拝し、その名を唱えてこそ、
自分ではまったく気づくことのない、6感より奥の8感、9感に刻まれた「過去世からの業」が洗い流されていくのです。
けれども、凡夫である私達は、自らの煩悩や信力・行力の弱さの故に、正法に帰依した現在でも、
謗法罪にあたる過ち(十四誹謗など)を犯すことがあります。
それに気づいた時、あるいは他から指摘された時、本当に自らを恥じ、ざんげの心を起こすことができるでしょうか。
第六十七世日顕上人猊下は、
「本当のざんげというのは、二度と悪いことを繰り返さないという覚悟をもってこれを改め、
そして正しいことを行わんとすることをいうのであり、
それを本当に思うところに、その人その人の生命の中に、
仏様から護念(ごねん)せられるところの非常に大きな力を生ずるのであります。
そして、それが真のざんげの功徳ということに相成(あいな)るのであります。」
と仰せです。