もともと、仏教・仏法というものは高度なもとということは昔から言われていました。


そして、そこから様々な宗教が世界中に枝分かれしたことも分かっています。

正しい宗教や、教えは一つであって、それは仏法の真髄を伝えている日蓮正宗なのです。

これは、自分の見解ではなく、学のある人達が様々な角度から検証し、証明しています。

時代が進み、科学がいろんなものを明らかにした上でも、

 

仏法の法は証明できなくて、


でも、仏法上は証明できるたくさんのことがあります。

 

それを、時代・時代ごとに検証し、証明してきています。

教学すればするほどに分かってくることですが、

宗教はすべて同じ方向に進んでいるなどの我見を持っている人が多くいますが、

 

それは、絶対に間違っています。

進んでいくと、奈落に落ちるものや、がけ下に落ちるものばかり。
真実の教えが広まるのを妨げているものばかり。

この我見に囚われて、意見を聞き入れないことを、「我欲」に囚われている人であることを、
仏法の教えでも言われています。

この法は、教えが深く広いので、難解で恐れる人もいますし、
人は、凄すぎる教えを聞くと逆に疑う習性もあります。
そこも、迷わず進みなさいとの教えにあります。


たしかに、仏となったのは釈迦や日蓮大聖人のみですし、
その下の菩薩の位も何十段階あるといわれます。
そこに到達できるのはどれほどの人か、ひとにぎりか・・、

しかし、同じ方法をやったからといって、同じ仏や菩薩になれるわけでありません。
違う命であるのですから。同じものなど、存在しないのです。

ですから、すべての命が大事であって、この世の中をよくするためには、
すべての命にたいして、正しい法が存在することや、
もともとからあった法が存在して、
我見によって学んだ法では、皆を幸せにすることが出来ない。
皆を幸せにすることが、けっきょくは自分を幸せにすることであることに気づけないのです。

この法を教学していけば、
その人・その人の正しい幸せと輝きに到達できることは体験・体感できるはずです


我見で真実にたどりつきたい、という方も今の時代はたくさんいるでしょう。
そして、たどり付かず生涯を終える人ばかりでしょうが、

生命は続いていきます。
すくなからず、仏法と出会った縁は、次の生命の出会いにはより濃くなっているものと思います。


こうして、因が原因が生まれ、
そのことによって、未来の結果が課が生まれる。因果の法則です。
この積み重ねによって、未来が出来上がっています。

すべての出来事は仏法上の産物なのです。

 

 

一つの宗教のみが正しい、ということを一般の人は簡単には理解できないでしょう。

 

 自分がなくなり、押し付けられている感をはじめの人は感じるでしょう。

 

 

しかし、学んでいくと、もともとが世の中がこの教え、法理・法則にしたがって、すべてが回っていることに気づくでしょう。

 

 日蓮正宗を否定しきってみてください、 必ず、罰的な現象がでるからすぐわかるでしょう。

 

日蓮正宗を信じてみてください。必ず救われますからわかりやすいでしょう。

 

 否定したものや、教えを守らないものは、地獄に落ちますが、仏の種は植えられています。 

 

それは、いつか花開き、正しい教えへとその人を導いてくれます。

 

 一般の宗教は、信じるものは救われます。

 

しかし、正しい宗教は、信じるものは救われるのは当たり前。

 

信じないものも、いずれは救われるのです。