※正しい宗教と信仰

・どの宗教が正しいのか自分で確かめてみたい

 

日本における宗教法人は18万以上あり、法人資格をもたない宗教団体を含めると22万余もあると言われています。

 

これほど多くの宗教について、実際に自分の目で善悪を確かめたいといってもそれは不可能なことです。

 

また、そのなかで仏法の教えは特に難信難解(なんしんなんげ)であり、「体験の世界」でもありますから、私たちがただ頭で宗教の正邪を理解しようとしても、十年、二十年、または一生涯を費やしてもできることではありません。

 

結局どの宗教が正しいのかわからず、信仰の道にはいることもできないでしょう。

 

 

たとえば、川を渡ろうとする人が橋の手前で、この橋はいつ、だれが作ったのか、材料は何か、いままで壊れたことはないか、などと詮索し続けて、結局、向う岸に行きつくことができなかった、という話があるようにすべてのものごとに対して、理解し納得しなければ信用しないという人は、一日たりとも生活できなくなるでしょう。

 

 

時には批判し、詮索することも必要ですが、元来、仏教に限らず、すべての宗教は信ずることから始まります。

 

法華経には、

「信(しん)を以(もっ)て入(い)ることを得たり。」

 

とあり、日蓮大聖人は、

「仏法の根本は信を以(もっ)て源(みなもと)とす。」

と教示されています。

 

また大聖人は、

「有解無信(うげむしん)とて法門をば解(さと)りて信心なき者は更に成仏すべからず。有信無解(うしんむげ)とて解(げ)はなくとも信心あるものは成仏すべし。」

 

と説かれて、たとえ仏法の教義を理解できる人であっても、信ずる心のない人を救うことはできないと教示され、さらに、

 

「法華本門の勧心(かんじん)の意(い)を以て一代聖教をあんずるにあんらかを取って掌中(しょうちゅう)に捧(ささ)ぐるが如し。」

 

と仰せられ、真実の仏法を信ずるとき、一切の宗教の浅深(せんじん)は、あたかも、たなごころを見るように明らかになるのであると説かれています。


「正しい御本尊」を信受し、修行することによって、あなたの真実を求め、見極める力は、より正しく発揮され、人生に大きく役立っていくことでしょう。