豊橋美術博物館で開催中の上村松園・松篁・淳之展に行ってきました。
電車でおよそ1時間ちょっと・・
愛知県の西の端から東の端への大移動。
新幹線こだまもあるけど乗り換えが面倒なので私鉄で乗り換えなしの直行。
駅ビルでお昼を済ませてタクシーで向かいました。
松園は名古屋の名都美術館にも多数ありますが
奈良の松伯美術館です。
やさしい絵は見る者をほっとさせます。
そっと目を閉じると絵が瞼の裏で動くような気さえします。
今回どうしても見たかったのは
「花がたみ」松園40歳の時の作品です。
松園の作品でも異色だと思います。
謡曲「花筐」よりの題材できれいですが怖い感じもします。
かすかに微笑の中に見える狂気は身に迫るものを感じます。
京都の精神病院に通い狂人の表情を描いたとされます。
狂人を描きながらも謡曲の幽玄の美をあらわしています。
作品もとても大きなものなので妖気が迫ってくるような感じを受けます。
松園ワールド堪能してきました。
*********************************************************
謡曲『花筐(はながたみ)』
磐余稚桜宮跡(いわれのわかざくらのみやあと)である稚桜神社から約300メートル西南、池の内の村はずれに土地の人々が「おやしき」と呼んでいる小高い丘がある。東側半分は畑地で西の半分は櫟林(くぬぎばやし)だ。そして北側の傾斜地は孟宗薮となっている。つまり橘街道へ出るまでのいわゆる「磐余の池跡」の西南に当たる台地だ。ここが継体天皇磐余玉穂宮跡だという。
ところで継体天皇は応神天皇五世の孫彦大人王(ひこうしのおおきみ)の子で母を振媛(ふるひめ)と申し上げた。武烈天皇崩御の後、越前(福井県)から迎えられて即位された(『日本書紀』)。皇后は手自香(たしらか)皇女(天理市の衾田陵)。お二人のお子様が欽明天皇である。
謡曲『花筐』によると越前国、味真野(あじまの)におられた男大迹皇子(おほどのみこ)は皇位をお継ぎになるために、日ごろご寵愛の照日前(てるひのまえ)にお手紙と花かごを形見としてお与えになり里下りをおさせになった。そうして皇子は継体天皇として大和の国池之内村の玉穂宮で日本国を治めておられた。
みあとを慕う照日の前は折から紅葉狩りを遊ばされていた大君と出逢う。彼女はさきにいただいた形見の品である花かごを手に狂い舞をまってお目にかける。すると天皇はこの美しい狂女がかつての照日の前であったことにお気付きになり、再び彼女をお前に召されることになったという。世阿弥作、能の四番目物の演目中でも上品なものの一つだ。 (桜井風土記より)
