あそこまでしない。でも、心情的には限りなく近い。
あそこまでしたい。でも、物理的に大変だからできない。
半分しけったポップコーンを食べながら
『小早川伸木の恋』 を見ていた。
ドラマの批評は他の人にまかせる。
あたしが身震いしたのは、
過剰に嫉妬深く、情緒不安定な伸木の妻に自分が似ていたこと。
妻妙子のように家中の物を放り投げて破壊するような度胸はないが、
後先考えず感情で行動するあたり一緒だ。
携帯へかけまくるのも、わかるわかる。
思い出の写真やビデオを見て泣くのも、わかるわかる。
どんなにキレていてもドライブひとつで天国にのぼるのも、わかるわかる。
なのにそれがキャンセルになったときの絶望感も、わかるわかる。
ましてやそれが記念日だったりしたときのこの世の終わりも、わかるわかる。
終わるのよ、この世が。
紫門ふみの原作を読んでいないので今後のストーリーはわからないが、
妻をこうさせてしまった原因があるらしい。 私にもある。
といえば、言い訳になるのか。
愛してる人に裏切られた後、仮にその後なんとか事が納まったとしても
一度抱いた猜疑心はどうしても消えない。
裏切り自体は許されることではないが、そうさせてしまった自分の至らなさにも当然過失がある。
ほんの少し連絡がつかないだけで、不安と心配と猜疑心で手が震えた。
その状況の私に、「相手は仕事中だから」なんて発想は無く、
絶対浮気してる、仕事なんてうそ、私なんてどうせ… そんなことをぐるぐる考え夜中に一人で泣く。
そして妄想は広がり、本人の顔を見れば責め立てる。
やがて怒っている自分の引きぎわがわからなくなってしまう。
相手が折れるまで許さない。
少し前の私は、こんな感じの女だった。
伸木じゃなくても、男は家庭に居場所をなくし、逃げたくなるだろう。
泣き叫んだり言いあいをしながら、心のなかでは愛してるのに、と、いつも思ってはいたのに。
今のあたしは少し成長したので、感情を出さないようにコントロールしている。
コトは違えど、あたしさえ黙っていればうまくいくことがあまりにも多い。
しかし、しかしなのだ。
家庭、もしくはパートナーにおける「私」は「伸木の妻」ではあるが、
その「伸木の妻」を妻に持つ男性の一部からは、
君と話をしていると、癒される。
なんてことを言われている。
ダンナさんがうらやましいとまで言われる。
ダンナが聞いたら、あいた口が閉まらないだろう。
じゃぁあんたこの女と一緒に暮らしてみなさいよって、思うだろう。
さぁ、どっちの私が、よりあたしなんでしょ。
どちらも私なのは事実だが。
そんなことをドラマと自分を若干リンクしつつ考えている間にも、
小早川伸木は、妻ではない違う女性にひかれていく。