
熊野神社前の島田人形浄瑠璃について書かれた看板を見ていて思ったのですが、祇園様の創建は①室町時代②江戸時代初期に吉原氏によって、の二つの言い伝えがあります。
たぶんどちらも間違っていなくて、室町時代の疫病の流行ったある年に村人たちが祈願のお祭りを行ったのが始まりで、その後、広島から毛利氏とともにやって来た吉原氏が地元の村人たちが大切にしていた祇園様をきちんとしたお社を建てて盛り立てたというのが二つの言い伝えの合流地点かなと思います。
言い伝えによると応仁二年(1468年)にその疫病の流行があったとされています。
同じ年の一月には長門国でも疫病が流行したそうです。
宇部市東須恵の松江八幡宮(しょうごうはちまんぐう)でもこの年から疫病退散のお祭りが始まったと言われています。
応仁の乱真っ只中で戦乱と飢餓と疫病の時代だったようです。
疫病に対して無力で、ただ祈るしか無かった人々は神様に疫病退散の願いを立て、その代償として神様を喜ばせるための人形芝居を捧げました。
自分たちが見て楽しかったもので神様を喜ばせようとしたのでしょう。
そのはじまりはキュウリに布を巻いて人形に見立てて演じる、本当にあり合わせの素朴な上演だったようです。
寺社から寺社へ旅する流れの傀儡師が上演してみせた人形芝居を真似たのでしょうか。
キュウリの人形ですか。
キュウリを未成熟な緑の状態で生食するようになったのはごく近年の話で、昔の人はキュウリは完熟した黄色の状態で漬物や煮物にして食べていたようです。
黄色のキュウリが演じたのはどんな演目だったんでしょう。
やがて戦乱の時代が終わり、平和な農村で文化が花開くようになります。
人形のかしらや拵えもグレードアップし、演目も洗練されていきました。
558年もよく続けてきたものですね。
今年の島田人形浄瑠璃の上演は7月26日日曜日に光市民ホールで行われるようです