(Of Mice and Men)
ジョン・スタインベック 1937年
※ネタバレを含みます。
舞台はアメリカ。
世界大恐慌の時代の、砂とか泥とかにまみれながら生きる2人の男の行末はーーー。
バディ系の話で、性格が正反対の2人が揉めながらも徐々に信頼関係を築いていく様子が好きな方は多いと思います。お互いの短所や長所がうまく合わさって、大事件を解決していくのは見ていて楽しいですよね。
これは逆です。1人が常に尻拭いをさせられているバディです。もうネタバレですが、このバディがいかに破滅に向かっていくかを描いた話でした。
登場人物は男が9割で、肉体労働者なのでみんなムキムキです。
主人公の男は2人。
普通のムキムキ男がジョージ。
ゴリラのような風貌にも関わらず、子どものように純粋無垢な男がレニー。
2人は農場で雇われているのですが、レニーがたびたび問題を起こすので、逃げるように農場を転々として、なんとか暮らしています。
面白いのは、ジョージのレニーに対する愛憎渦まく感情です。
2人の関係性は複雑で、友達でもあり、兄弟のようでもあり、恋人ではないけれど生涯を共にすると誓ったパートナーのようにも見えます。
レニーは知能に問題があって、ジョージがいなければ生きていけない。ジョージは、レニーがいなくても生きてはいけるだろうけれど、手離すことはしない。
それはなぜか。
貧しい日々の中で心がけずられて、純粋じゃいられない。夢なんか見ていられない登場人物の中で唯一、レニーは1ミリも疑うことなく幸せな夢を持っている。
2人で農園を持つこと、2人で幸せに暮らすこと。
現実は苦しいけど、2人で語る夢だけが娯楽。
ジョージは、レニーと比較するとまあ賢いぐらいの男だと思っています。めちゃくちゃ賢いとか行動力があるとか、めちゃくちゃ優しいとか、そういう男ではない。
けれどレニーの存在によって、賢く優しい男のように見える。
そういう優越感を持つことができるから、やっぱりレニーの存在はジョージにとっては甘い麻薬のような夢。
世話してやっているという優越感、こいつがいなければ俺は幸せになれる(かもしれない)のに、という負の希望。レニーと語る将来の夢。
そうして夢に生きている一方で、現実のほうは厳しいし、どんどん見える景色は変わっていく。
レニーのやらかしによってまた農場を追い出されます。でもジョージはレニーを責めることができない。レニーには記憶がない。
自分だけが覚えていて、辛いところは共有できない。1人で現実を耐えるジョージ。
それを見て、理解できないけど自分のせいかな、ごめんねって泣くレニー。
夢半分、現実半分の日々を耐えているうちに、少しずつジョージは大人になっていく。
こんな世界に生まれて唯一、幸せだった時間は、2人で妄想の楽園について話してるとき。
「こんなクソみたいな場所はもう終わり。
楽園に行こう。」
そう言ってレニーの頭に銃を突きつけるジョージ。喜ぶレニー。
ジョージと一緒に行くのだと思っているレニーが、「Me and you」って言った後に、ジョージが「you ...and me」って自分を付け足す場面。
自分は行かない。行けない。行きたい。行けたら幸せになれるのかも。行こうかな。
どういう感情なのかは知る由もないですが、
この三点リーダーの中に、ジョージの葛藤が見えてとても辛いです。
そうしてレニーの頭を撃って、死ななきゃいけない、2人で語った夢の楽園にレニーを行かせてあげる。
不慮の事故でも衝動的な殺人でもない、考え抜いた末に自分の手でレニーを撃つ。夢との決別のような感じがします。
これでもうジョージは楽園には行けない。
幸せな夢はない。自分は優れているという優越感もない。苦しいときに、自分が幸せになれないのはこいつのせい、こいつがいなければ、という負の希望も持てない。
どんなに辛くてもレニーのいない世界では現実だけを見て生きていかなければいけない。
夢を見させてくれる存在って好きですよね。
私もおセンチなテンションで将来の夢を話せる友だちが大好きです。
なんの意味もないかもしれないけれど、明日も頑張ろうという気持ちにさせてくれる。
レニーがいなくなって、ジョージは生きていけるのか。そんなことを考える午後でした。