今日は2022年2月8日です。
夫は息をしていません。
夫は療養のためのカウチソファーベッドより離れ、
もともとの寝室にドライアイスを敷き詰めた布団に眠っています。
私はお風呂にゆっくりつかったあと、
その横に布団を敷き寝ました。
なんとも表現し難い思いです。
夫の父母を呼び、
葬儀の手配を業者と打ち合わせをしてから、
夕食を摂るときに私と娘と息子、
ビールで乾杯をしました。
なぜか乾杯です。
幸せな看取りを娘と息子にねぎらってもらえました。
昼間に娘に、スーパーでありったけの「すぐ食べれるもの」を買ってきてもらいましたが、おかげで、駆けつけた夫の父母のお腹が空いたコールにも対応出来ましたし、私たちの夕食にもなりました。
一昨日2月6日夜から2月7日の朝にかけての話です。
一昨日の夜チアノーゼをきたし、
在宅酸素の量を(1→3)に上げたことは、
すでにブログに書きましたが、
なんとなく胸騒ぎがして寝る前に医師に確認。
夜間に再度急変した場合に、
酸素をマックスの5まで上げたいことをリクエストしました。
お腹がトクトク脈を打っているのが気になりました。
結果、許可が出まして、
本当に朝方に再度チアノーゼ。
酸素をマックスまであげる事態になりました。
このリクエストしておいたので、
何とか朝まで命を繋ぎました。
虫の息の夫の手を握りながら、
「朝まで頑張ったからもう看護師さん来るよ…」と、
言いました。
お腹のトクトク脈打ちの理由は、
腸から大出血が始まっておりました。
朝の訪問看護で、
ストーマからも肛門からも大量の下血が確認。
訪問看護とほぼ同時に緩和ケア医師の往診してくれました。
絶妙のタイミング、再び。
モルヒネ持続皮下注射とセデーション(鎮静)のベースアップをして、レスキューの間隔も短く処方変更。
私は訪問看護が終わってから、
お腹を痛がる夫の腹部を撫でながら、
モルヒネ持続皮下注射とセデーション(鎮静)のレスキューをトロトロ眠れるまで、連続で様子をみて使いました。
そして昼過ぎに朝から何も食べてなかったので、
前出のスーパーで買った「すぐ食べれるもの」をガツガツ食べて、夫の横で一緒に寝ました。
夫の横で2時間くらい熟睡し、
起きると夕方の訪問看護の時間が迫っていました。
懸命に息をし続ける夫に、
「私が起きるまで、ちゃんと待っていてくれてありがとうね」と声をかけました。
そこからは前記事の
16時35分ころ、
16時からの訪問看護が入っている最中に息を引き取るというところに繋がります。
その瞬間のこと。
夕方の訪問看護でストーマパウチとおむつ換えを予定していたので、私は、前もって夫の腹部を蒸しタオルであたためました。
なぜなら、朝にそれをしたら、腸に溜まっていた古い血液成分がストーマにドバっと出て、表情が楽になったようだからです。
その蒸しタオルを外した瞬間、トキが。
看護師さんが、
「奥さん、手を握って!」と。
手を握ると、時間を測りながら別部屋にいた娘と息子とぽぽを呼んでくれ、揃ったところで、無呼吸の時間が過ぎて、瞳孔確認。
医師を呼び臨終確認の運びになりました。
経鼻胃管から血液が流れていくさまが私達の目に映りました。
表情は穏やか。
「蒸しタオル、気持ちよかったんだと思う…」
看護師さんが言ってくださいました。
出さなきゃいけないものを、
すべて出し切り、
夫は軽やかに旅立ちました。
旅立った直後、
終始おとなしく見守った愛犬ぽぽは、
夫の口元をペロペロと舐めてお別れしていました。
最後にセデーションで眠り入る前、
夫は私に音がない声で、
「○○○○○」と口パク。
声が出なくなっていました。
私が「かわいいね?」とたずねると、
首を縦に振ってくれました。
宝物の瞬間。
25年連れ添ってきてよかったと思いました。
他にもセデーションがもたらしたロマンチックがいくつかあります。
興味がないかもしれませんが、
次のブログに私の記録として綴らせていただきますね。
夫が寝てる横で、
こんなふうにブログを書くのは最後です。
今日は湯灌をして棺に入る夫です。