ひとりで、崖から落ちそうなとき。







黙って、しがみついていても、
誰も助けてくれない。







じゃあ、声をあげたら、
誰かが来てくれるか。







答えは、わからない。







落ちそうなこの瞬間も、







あたたかいお部屋で、お茶を
している人たちだっている。







もし、声をあげたならば。






見つけてもらえる可能性は、
格段に上がるだろう。







じゃあ、見知らぬ人が、
手を伸ばしてくれたなら、







その手を信じて、掴んでいいものか。







その人が、善人なのか、悪人なのか、
その一瞬で判断することは、難しい。







それは命がかかった、選択。






しがみついておけば、それは
自分の持久力次第。







ただ、おそらく時間の問題で、
いつか落ちるだろう。





でも、もしかしたら、落ちる前に、






救助が来てくれるのではないかと、
淡い希望を抱くのが、人間。






崖から手を離して、誰かに身を
委ねるとしたら。





自分がしがみついているよりも、
早く落ちてしまうかもしれなくて。





その人を信じて助かったとしても、






その人は、これでもかとばかりに、
恩を着せてくる人かもしれない。





手を離して、他者に委ねるのは、






勇気が必要なこと。






でも、しがみついているのは、
きっと恐怖や不安からくる執着で、






そのまま辛抱していても、改善
する見込みがない未来しか見えない
のだとしたら。





勇気を出して、声をあげて、





しがみついていた、その手を離して、





相手の手を握ってみる。





もし、相手が悪人であったとしても、
あとは自分次第でどうにでも
切り拓けるはずだから。






生きてさえいれば。






自分を信じてさえ、いれば。






悪人に利用される人生ではなく、






悪人さえも、利用するくらいの
心構えで。





執着を手放して、
勇気を出して、何かに懸けてみる
ということ。






どうなるかわからなくても、
飛び込んでみるということ。







その瞬間が、運命の変わる瞬間
になるかもしれない。





今朝、夢を見て、





ふと、思ったこと。