私は今、太陽のオーラ写真という活動をメインにしていますが、
まさか自分が撮った写真が売れたり、写真展をするなんて夢にも思いませんでした。
今回は、天職となった写真のお仕事について書きたいと思います。
先日、自己紹介を大学まで書きましたが、
就職活動中に病気になったこともあり、その当時思い描いていた社会人の夢は儚く散りました。
内定ももらっていたのですが、東京での生活は叶いませんでした
親に決められた職場に私は無理矢理入れられました。
4月1日の初日はものすごい吐き気で早退するぐらいの拒否反応でした
親に迎えに来てもらい、車の中で、
「写真屋に帰りたい~」
とずっと泣いていました
大学4年の時に写真屋でバイトをしていましたが、そこがすっごくすっごく楽しくて、
ずっとそこで働きたいと思いました。
本当にあそこに戻りたくてしょうがなかったです。
2年もたたないうちに結婚して辞めました。
結婚後は、学生時代からやっていた予備校や塾でまた働いたり、家庭教師や公文をしたりと、
そういった生徒に勉強を教える仕事をずっとしていました。
小学生の頃の夢は学校の先生だったので、ちょっとばかりは夢が叶ったのかもしれません。
28歳の頃、ふと求人広告を見たら、写真屋でパート募集中が出てたので、
「おお!!!」
と思って早速連絡し、働くこととなりました。
これが今思うと転機だったんですね
その前27歳の頃、私はすっごく大変なことがありました。
そして、小さい頃から、なぜか27歳で死ぬんじゃないかと思っていて、
27歳はいろいろあったので、いつ死ぬのか・・・という思いにかられていたこともありました。
でも、なんとかそれを乗り越えて、そんなときに写真屋で働くこととなりました。
今思うと、大きな毒だしというか浄化が終わり、新しいサイクルに入ったという感じです。
働き始めた写真屋は、大学時代バイトしてた写真屋とは全然違って、かなり本格的な仕事内容でした。
1枚1枚きれいに色補正するために、何度も焼き直ししたりと、かなり色にはうるさいところです。
その写真たちに真剣に向き合って焼きます。
以前の写真屋は、スーパーや商店などで預かったO円プリントのものを焼いていたので、
全く色補正なんてしません。
ペーパーの質も悪く、ただ機械的に焼くだけです。
写真屋の裏側ネタは、以前太陽のオーラ写真のブログに書いたので、もし興味があればご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/arigatosun/diary/201402070000/
以前は、ネガしか焼いたことなかったのですが、今度はポジもバンバンあって、
本格的に写真をやるお客さんが集まるお店でした。
お店内に写真展や撮影行のイベントもする写真クラブが2つもあったり、
コンテストに応募するお客さんも多くて、コンテスト用の写真もしょっちゅう焼いています。
なので、いい写真を毎日目にすることができて、写真の良し悪しも自然と身についてきました。
今はもうそんなの見ませんが、働き始めたころは、ヌードのモデル撮影会もあったりして、
そういうヌード写真を焼くことにびっくりしたこともありましたね
あと、企業の写真も多くて、病院の写真とかは人間のいろんな部分の写真とか、うげーと思う写真もあったり。。。
でもとにかくいろんな写真が見れたので面白かったです。
写真は見てて本当に楽しいです
私が入ったときは、まだかなり忙しかったのですが、フィルム写真が減ると同時に、
見る見るうちに仕事が減ってきてしまって、お客さんも少なくなって、今では寂しい感じです
この写真屋で働いている間、何度も体調を崩して長期休養することもたびたびですが、
社長ご夫妻がとっても理解がある方々なので、ずっと私のペースで働かせてもらっていることは本当に感謝です。
一度は辞めることもあったのですが、なんだかんだ続いていて、今は週2日だけお手伝いしています。
夏場は暑い時間外に出るのは無理だから夕方から働くとか、私の都合で合わせてくれて、
普通じゃありえない自由な環境で本当に有難いです。
これからも写真のお仕事を楽しんでいきたいと思います
モデル撮影会やさまざまなフォトコンテスト情報を扱ううちに、私も挑戦してみようかなと、
モデル撮影会に参加して撮ってみたり、フォトコンテストも応募するようになりました。
そして、市の観光フォトコンテストに挑戦して3年目でやっと入賞することができました
その時は本当に嬉しかったですね~
その写真がポスターになったのも嬉しかったですね~
その後も、いくつかのフォトコンテストで入賞し、入選した作品が新聞に載ったり、本になったこともありました。
これからも、もっといろんな写真を撮っていきたいなあと思っています
まさか自分が撮った写真が売れたり、写真展をするなんて夢にも思いませんでした。
今回は、天職となった写真のお仕事について書きたいと思います。
先日、自己紹介を大学まで書きましたが、
就職活動中に病気になったこともあり、その当時思い描いていた社会人の夢は儚く散りました。
内定ももらっていたのですが、東京での生活は叶いませんでした
親に決められた職場に私は無理矢理入れられました。
4月1日の初日はものすごい吐き気で早退するぐらいの拒否反応でした
親に迎えに来てもらい、車の中で、
「写真屋に帰りたい~」
とずっと泣いていました
大学4年の時に写真屋でバイトをしていましたが、そこがすっごくすっごく楽しくて、
ずっとそこで働きたいと思いました。
本当にあそこに戻りたくてしょうがなかったです。
2年もたたないうちに結婚して辞めました。
結婚後は、学生時代からやっていた予備校や塾でまた働いたり、家庭教師や公文をしたりと、
そういった生徒に勉強を教える仕事をずっとしていました。
小学生の頃の夢は学校の先生だったので、ちょっとばかりは夢が叶ったのかもしれません。
28歳の頃、ふと求人広告を見たら、写真屋でパート募集中が出てたので、
「おお!!!」
と思って早速連絡し、働くこととなりました。
これが今思うと転機だったんですね
その前27歳の頃、私はすっごく大変なことがありました。
そして、小さい頃から、なぜか27歳で死ぬんじゃないかと思っていて、
27歳はいろいろあったので、いつ死ぬのか・・・という思いにかられていたこともありました。
でも、なんとかそれを乗り越えて、そんなときに写真屋で働くこととなりました。
今思うと、大きな毒だしというか浄化が終わり、新しいサイクルに入ったという感じです。
働き始めた写真屋は、大学時代バイトしてた写真屋とは全然違って、かなり本格的な仕事内容でした。
1枚1枚きれいに色補正するために、何度も焼き直ししたりと、かなり色にはうるさいところです。
その写真たちに真剣に向き合って焼きます。
以前の写真屋は、スーパーや商店などで預かったO円プリントのものを焼いていたので、
全く色補正なんてしません。
ペーパーの質も悪く、ただ機械的に焼くだけです。
写真屋の裏側ネタは、以前太陽のオーラ写真のブログに書いたので、もし興味があればご覧ください。
http://plaza.rakuten.co.jp/arigatosun/diary/201402070000/
以前は、ネガしか焼いたことなかったのですが、今度はポジもバンバンあって、
本格的に写真をやるお客さんが集まるお店でした。
お店内に写真展や撮影行のイベントもする写真クラブが2つもあったり、
コンテストに応募するお客さんも多くて、コンテスト用の写真もしょっちゅう焼いています。
なので、いい写真を毎日目にすることができて、写真の良し悪しも自然と身についてきました。
今はもうそんなの見ませんが、働き始めたころは、ヌードのモデル撮影会もあったりして、
そういうヌード写真を焼くことにびっくりしたこともありましたね
あと、企業の写真も多くて、病院の写真とかは人間のいろんな部分の写真とか、うげーと思う写真もあったり。。。
でもとにかくいろんな写真が見れたので面白かったです。
写真は見てて本当に楽しいです
私が入ったときは、まだかなり忙しかったのですが、フィルム写真が減ると同時に、
見る見るうちに仕事が減ってきてしまって、お客さんも少なくなって、今では寂しい感じです
この写真屋で働いている間、何度も体調を崩して長期休養することもたびたびですが、
社長ご夫妻がとっても理解がある方々なので、ずっと私のペースで働かせてもらっていることは本当に感謝です。
一度は辞めることもあったのですが、なんだかんだ続いていて、今は週2日だけお手伝いしています。
夏場は暑い時間外に出るのは無理だから夕方から働くとか、私の都合で合わせてくれて、
普通じゃありえない自由な環境で本当に有難いです。
これからも写真のお仕事を楽しんでいきたいと思います
モデル撮影会やさまざまなフォトコンテスト情報を扱ううちに、私も挑戦してみようかなと、
モデル撮影会に参加して撮ってみたり、フォトコンテストも応募するようになりました。
そして、市の観光フォトコンテストに挑戦して3年目でやっと入賞することができました
その時は本当に嬉しかったですね~
その写真がポスターになったのも嬉しかったですね~
その後も、いくつかのフォトコンテストで入賞し、入選した作品が新聞に載ったり、本になったこともありました。
これからも、もっといろんな写真を撮っていきたいなあと思っています