
東北新幹線全線開通し、来月から日本最速新幹線はやぶさが走行します。
今熱い県、青森を観光した色々をアップです。
半年の間に3回青森訪問のため、過去記事に八甲田山などもありますが、さすがに真冬の八甲田山は映画と同じ状況になってしまうので、今回の八甲田は青函連絡船の方にしました。

JRの列車から降りて連絡船へ乗車していた当時は青森駅から直結していたのです。
今、八甲田丸はミュージアムとして海上に停泊。
青函連絡船は1988年3月13日に青函トンネルの開業とともに歴史に幕をおろしました。

連絡線は数えるほどですが、乗ったことがあります。
グリーンではなく多分、2等席かな?床になっていて座りこめる席と、座席がある席にも乗った記憶がありますが記憶がほとんどありませんがグリーン席はありません。
今でこそ新幹線のグリーンも敷居が高いわけではないけれど、昔のグリーン車は本当に限られた人しか乗らなかったのではないかと思います。
最近新幹線のグリーンの格差がなくなったとのことで、東北新幹線のはやぶさのグランクラスの要望が多く設置されたそうです。
高級なイメージを保つため、はやぶさのグランクラスは、一切の値引きなし割引なしの販売のため正規料金とのことです。

函館にも青函連絡船のミュージアムもあり、函館は摩周丸かな?函館っ子でいつも必ず函館駅の裏の海に行ってるくせに記憶が曖昧。
昔一度、函館港の連絡船も見学した記憶があるようなないような。。。。

昨年で開館20周年。青函トンネルが開業してからも早そんなになるのですね。

では、八甲田丸の見学へGO。

私が見学コースですぐにハマってしまったのが、グリーン席の中で上映されていたビデオ。
昔の青森市や函館市、当時の連絡船に乗車する人たちや、洞爺丸の沈没や連絡船が廃止になり青函トンネルの工事の計画など、ドキュメンタリーのビデオに見入ってしまい、また昔のままとはいえ当時のグリーン席のすわり心地のよさも手伝い1時間ほどビデオに見入ってしまいました。
ビデオは2時間なので、途中で仕方なく見るのをやめましたが見ごたえのあるなんともすばらしい内容のビデオでした。
青函連絡船は列車専用で車両が丸ごと乗っていたとは露知らず、どおりでカーフェリーは別な路線が用意されていたわけですね。
北海道と青森を結ぶ最短距離は青森県三厩と北海道福島町なのですが、カ-フェリーはそのルートの他、青森県大間崎と七重浜を結ぶルートもありした。

昭和の時代のグリーン席にも照明もついていました。
シートもはやぶさのグランクラス並みの倒せるシートでビックリ。

青森県の湾が見えてから青森に到着するまでかなり長かった記憶があります。
3時間50分のうち3時間近くは下北半島から青森までの風景を見ていたのではないでしょうか。

昔のままのシートとのことですが、旧国鉄時代の青函連絡船や列車は、ずいぶん差があったのだと実感。
昔は嫁に行くなら医者か鉄道員といわれて時代があったそうです。
旧国鉄に関連するう役所に勤務していた私は上司のほとんどが国鉄幹部からの天下りでした
そんな鉄道に関わる職場にいた私、○○年経って鉄子の要素が花開き?最近は飛行機よりも鉄道の旅が多くなってきています。

グリーン席からみた青森市内です。
アスパムや青森ベイブリッジが見えます。

青函連絡船、八甲田丸の甲板です。


連絡船の客室の折り紙ならぬ折毛布の見事さ。

当時はこの見事な飾り毛布を解くのがもったいないと、ベットを使わない方もいらしたそうです。

山の男同様、海の男もロープの結び方は色々知っているようです。
連絡船を操縦するシュミレータがありましたが、私は連絡船の操縦士にはなれませんと機械に言われてしまいました。(汗)

乗るときにドキッツとしたシンドラー製エレベータ。

貨車だけでなく、普通の列車も連絡船に乗っていたのだと知りちょとびっくり。

青函連絡船内の車両甲板は9両の車両を格納できるそうです。
世界でも珍しいそうなので、私が知らなくても不思議はないかも。
昭和の時代は北海道から石炭を載せた貨車を本州に運ぶ、国家的にも重要な役目を果たしていた青函連絡船。
太平洋戦争でアメリカに青函連絡船を壊的に破壊されたことで、ずいぶん日本経済はダメージを与えられたそうです。
また、戦後の日本経済の復興に青函連絡船は著しく活躍したそうです。

函館賛歌という函館市民なら誰でも知っている歌の中にも「碧い海函館の港開ければ~」という歌詞がありますが、青森の海も青く、まさに青い森でした。

空だけでなく、海も青い。
本当に心がスカッツとなる青です。青い森。

青い森、青森の観光はまだつづく
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