新潟で広告代理店の仕事をしてきましたが、今年それを辞め、海外ボランティアとしてここマレーシアはコタキナバルへ来ました。
ここボルネオ島の森を守るためです。
なぜ会社を辞めたのか、それはお金儲けのため、荘厳な言い方をすれば「経済発展の寄与のため」働くより、直に、人を助けたいと思ったからです。もちろんたいそうな理由ではありません。人を助けることが自分の利益になる、という考えもあってのことです。
それを決意したのは、新潟で働いていた時、「NISSAN あ、安倍礼司」というラジオ番組があったのですが、その脚本家さんとお仕事ができたのがきっかけでした。
昨年のことですが、自分のクライアントである街を宣伝して欲しいともちかけたところ、その脚本家さんがその街のことをドラマにしてくれたのです。僕の要求も全て入れてくれながら。
その後、イベントもその街で行いました。脚本家さんもキャストの方も来て下さいました。ただその時、僕はなぜか「鼻血」という病名で入院をし、その場に向かうことができませんでした。いつまでたっても間が悪い。それがまたそのドラマの主人公のようでした。
で、お礼が言えなかったのです。脚本家さんとスタッフの方は、入院している僕に、素敵なメッセージをくれたにも関わらず。
脚本家さんの書いたシナリオと、それを実際にドラマに仕立てた声優さん、スタッフの方々が、それを聴いた人たち、そして僕に、勇気や、優しさを与えてくれました。
それで僕は、僕も人に直接、いや間接的にでも、人に何かを与える仕事をしたいと思ったのです。
当時、僕には大義名分がなかったこともあります。特に家族もいない僕は、そのときの仕事が、経済発展のため<会社のお金を稼ぐため<自分の生活を支えるため、ということになってしまい、誰かの役に立ちたかったのかもしれません。それ自体、自分の満足でしかないのですが。
でもその方々に出会った時から、それでも方向を変えよう、そう強く思ったのでした。
ただ、言葉が僕にはない。言葉で何かを伝える技術はない。そんなことも考えあわせ、海外へ、という選択肢を選んだのかもしれません。震災があった影響もあり、即座に会社を辞める決意をしました。
さて、こっちに来て、どうしよう。言葉が通じない。勉強しても、自分の思いが伝えられない。
言葉を学びながら、言葉以外での行動で示さなければならない、そういう状況に直面しています。
でも、日本では決して感じなかった壁。そして改めて、言葉の重要性、また言葉に頼ってしまう自分を見つけたのでした。
