先日のブログの続き。
今日はジャガーさんのお話ね。
僕がジャガーさんのことを知ったのは今から40年前くらいかな?
今知っている人は千葉県民を除くと、マツコさんの放送関係で知ったでしょう?
僕は当時深夜のテレビ番組の「トゥナイト」で知ったのでした。
その中に「山本晋也監督のコーナー」と言うのがあったのです。
山本監督が各地の面白い人にインタビューして行くルポルタージュでした。
その頃から「邱永漢」さんの本など読んでいた僕はその夜の内容にググッと引き込まれたのでした。
監督がジャガーさんに会って突っ込んだ話になると、二人は揃ってジャガーさんの本業のお店へ。
そこはおばちゃんがミシンを使って洋服のお直しをしたり、毛糸を売っているようなお店でした。
ジャガーさんの話は、自分は最初からロックを歌って生きていきたいと思っていたそうです。
しかしロックでは食っていけない(ここは現実をしっかりと直視しています)
思う存分ロックをやるには他に何か稼ぐ手立てが必要と考えたのです。
そこでおばちゃんを雇って洋服のお直しの店を始めたらこれが軌道に乗って多店舗経営をするようになったという話でした。
もう40年くらい前の話ですから記憶が定かではありませんが、まだジャガースタジオはなかったような気がします。
しかし多店舗経営から上る利益はかなりすごかったような気がします。
僕はこれを聞いて、
「邱さんの考え方に似てるな」
と思ったのでした。
邱さんは「独立を考えるなら40歳が最後のリミット。40歳で独立できなければ才能がないと思って定年まで会社にとどまりなさい」
と言っています。
そしてこうも言っていました。
「独立して早く金の鉱脈を見つけなさい。いい歳こいて頭を下げて仕事をもらいに行くことは恥だと思いなさい」
結局僕は会社員になることなく(スタジオマンは1年やりましたが)すぐ独立して生計を立てました。
フォトグラファーで金を稼ぎ、好きなことをして生きてきました。
今でもお金のために働くのはまっぴらです。
そんな考え方が若い頃から身についているのは、ジャガーさんのこの番組を見たり邱さんの本に親しんでいたからでしょう。
そして今、ジャガーさんはジャガー星に帰還し、邱さんも天に召されましたがその精神を受け継いで実践している人は僕以外にも沢山いることでしょう。
自分もその一人としてお二人に感謝しています。
ジャガーさんお疲れ様でした。
そして素敵な生き方ありがとうございました。