$不動産投資でハッピーリタイア@横浜の中川隆司のブログ

いつも旅に出ているときは、眼が獲物を
探している。
獲物を見つけると、即座に撮影にうつる。
しかし僕はハンターではない。
そんな意識で撮影していない。
そんな写真に共感してくれる人もいる。

ロードトリップフォト     http://web.me.com/roadtripphoto


僕が目覚めたのはこの映画がきっかけだったかもしれません。
それまでは、地方都市のちょっと遅れたガキでした。

その映画は深夜にかけてひっそりとテレビでやっていました。
何回も放映され、ゴールデンタイムをひっそりと退いたのかも
しれません。

僕はその日の朝からこの映画に照準を合わせていました。

夕ご飯も早めにすませ、勉強もやったふりをして静かにテレビの
前に座っていました。
近くにいる母親が邪魔でしたが、もう映画は始まりました。

ロックミュージックに乗って、チョッパーが大地を走ります。
ああ、夢見ていたこの爽快感。
そうだよ、この音楽、このビート、そしてフリーダム。
そしてアメリカの大地、チョッパー。

いつしか僕は母親がそばで見ている事も忘れ、熱中していきました。
僕も映画の中の二人と同じ道をチョッパーで走っていました。

僕もコカインを吸い、たき火にあたって彼らと夜を明かしていました。

女は知りませんでしたが、彼らと一緒に楽しみました。

ラストに近くなり、トラックからの一発の銃声で映画は終焉を迎えます。
ああなんてこった。

路上に横たわるチョッパー、草の上で虫の息のホッパー。

僕は駆け寄るキャプテンになっていました。
僕の息も切れていました。

そんな僕に突然現実に引き戻す声が聞こえました。
「こんな生き方してるとろくな事にはならないね。」

母親の声でした。

「ああそうでしょうとも、こんな生き方はだめですよね」

その時僕は大人になりたくないと思ったと同時に、これは大人には
わからない世界だろう、アートの世界に生きたい、
そう思うようになりました。

今、写真家をやっているのも「イージーライダー」があったからです。

アメリカ南西部を何回も大型カメラと共に放浪したのも、
ここが原点だったのです。

デニスホッパーが亡くなりました。
僕の父親と同じ、前立腺がんでした。
彼は自分の亡骸をタオスプエブロに埋葬してほしいと息子に頼んでいたそうです。

デニスホッパーらしい場所です。

僕も行った事があります。
チョッパーで行く事は叶わないと思いますが、ニューメキシコに再度
行ったみたい所が出来ました。