華厳の滝で自殺,後を追うものが続出。
1903年(明治36年) 5月22日
第一高等学校の生徒であった藤村操が華厳の滝で自殺 。社会に大きな影響を与え、後を追うものが続出した。
日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(下記)を書き残して自殺。厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。
悠々たる哉天壤、
遼々たる哉古今、
五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、
胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、
大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
彼の死は、高等学校で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、藤村に、「君の英文学の考え方は間違っている。」と叱っていた。この事件は漱石が後年、うつ病となった一因とも言われる。
また、当時の知識人の間でも藤村の死に対する評価を巡って議論が交わされた。当時のメディアでも多くこの事件を取り挙げた。
Wikipedia より
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