チャールズ・リンドバーグの謎 | 不動王のブログ・名古屋分譲住宅

チャールズ・リンドバーグの謎

1910年(昭和2年)5月21日


チャールズ・リンドバーグ が大西洋単独無着陸飛行に成功。

1927年に「スピリット・オブ・セントルイス」と名づけた単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功。


それから5年後1932年3月1日、1歳8ヶ月の彼らの息子ジュニアは自宅から誘拐され、10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代金交渉の後に、ニュージャージー州ホープウェルで5月12日に死んでいるのが見つかった。


3年以上後に殺人で告訴された犯人のドイツ系移民、ブルーノ・リチャード・ハウプトマンの裁判が始まり、メディアの注目に嫌気がさしたのと、息子を失ったことに悲嘆して、リンドバーグは1935年12月にヨーロッパへ渡った。


ハウプトマンは裁判の終了まで無罪を主張したが、有罪と判決され1936年4月3日に処刑された。


この事件はハウプトマン冤罪説・リンドバーグ関与説など様々な謎がある。


例えば、ハウプトマンが処刑された後、犯人から度々送られてきた『謎のマーク』が記された手紙が書かれたと思われる机の一部が家具屋から発見された。


また、近年になって、自分は死んだはずのジュニアであると名乗りを上げるロバート・アルジンジャーなる男性が現れた。


リンドバーグ関与説は、リンドバーグには生前様々な悪質な奇行があったとされ、それが息子を死なせる何らかの原因となったのではないかという推測。


ならびに妻の父が遺産の配当金年30万ドルの受取人をジュニアに指名していたため、遺産の配当金を欲したのだとするロバート自身の説が主張されている。実際にジュニアの死後、遺産の配当金はリンドバーグに向かった。


Wikipedia より



リンドバーグ・デッドライン (文春文庫)



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