学生当時、使うお金がなくなった時、日雇いで引越しのバイトをするのが、主流だった。
前日、当時電話でバイトしたい旨を引越し屋に電話して、よく早朝からバイトに入った。
当時、小さな引越し屋から自分は重宝がられ、集金とか金銭を直接扱う、大事な業務まで任される時もあった。
そんな中、何故か忘れられない引越しがあった。
ある日、大型車の外注ドライバーさんと、私だけで、或る単身の引越しに行った。
その依頼主は、当時、最高級の3LDKのマンションから、2DKの.全てが階段。
5階の公団住宅への引越しだった。
依頼主は、綺麗な20代女性。
細い身体の綺麗な人だった。
荷物も最低限の洗濯機、衣類、テレビ、整理ダンス…、あとは一脚の座り易そうな椅子…だけだった。
冷蔵庫やエアコンは、前の家に置いたままで…。
そんな家財の一部を移動させる引越しだった。
しかしながら、その依頼主から、ひとつ要望を言われていた。
『最初に、この椅子を下ろしてください』
『承知ました!』
トラックの最後にその椅子を積み込み、私たちは、ドライバーと次に住む公団住宅に向かった。
当時、10代だった私には、何故こんな少ない引越しなのかが想像もつかず、単に業務的な作業をこなす、蒼い自分だった事を、フッとタバコを吸った時思い出す。
現地についたら、その綺麗な女性は、次に住む公団住宅へ既に先着していた。
トラックの荷台を開けると、最後に積み込みをした、高級そうな椅子があった。
私がその椅子を取り、まず、5階の彼女の部屋に、階段を小走りに上がりながら持っていった。
『あー、今着きました。この椅子、どこに置きますか?』
特別な椅子であろうから、真っ先に女性に聞いた。
すると女性は、
『お兄さん、一旦、ベランダに出して!』
『承知しました。…』
『ん、う?ベランダ…?』
そんな大切なものを、ベランダ?
それもベランダの作りが当時の公団だけに、何のクッション性もないベランダに置いた…。
不思議に思いながら、ベランダに高級椅子を置いた。
すぐに私は、次の荷物を1階まで取りに走った。
次に、まだ作業に入ってないドライバーを気遣い、簡単な衣類をまた1人で運んだ。
部屋に入ると、彼女はその椅子に座り、遠くをみつめながら、煙草を吸っていた。
灰皿もない所で、片手に持ったオレンジジュースの缶を灰皿にしながら…。
運び込む振りをしながら、私は少しの時間、その場で彼女を気づかれないように見つめていた。
すべての荷物が運び込まれ、その引越し代金の回収をした。
『すみません、引越し料金なんですが…。』
『あっ、そうよね。いくら。』
『1万8千円です。。。』
私は彼女の表情ばかり見ていた。
そんな気持ちとは裏腹に、何もなかったように、サバサバと、
『はい、1万8千円ね。有難う御座いました。』
当時、19歳のバイトの私は、今まで経験した事のない、異様な空間に苛まれていた。
初めて会った、大人の女性だった。
悲しみは、煙草の煙となって、過去に消えていく…。
そこから、自分が吸うタバコも、少し味が変わった気がする。