餡(あん)子(こ)事件
 ときは、昭和四二年二月。
 物語の舞台は、東大寺ちかくにある奈良少年刑務所の、炊(すい)事(じ)工場である。
 頭領の豚松がにんまり顔で、夕食のてんぷらを揚げている。
 この頭領とは、副食を作る菜(さい)屋(や)の責任者をいう。また、豚松とは、豚肉を捌く肉職人ゆえ、ついた渾(あだ)名(な)である。が、かれは、大阪市生野区にある精肉店のぼんぼんだ。
 大型の揚げ物器の油面には、てんぷらに隠れて、フライまんじゅうが何個も、ぷかぷか、ういている。
 喉がごくりと鳴った。
 下役のわたしが、頭領の指示どおりに、小麦・砂糖・塩・マーガリンをまぜて、ネタ作りをした。
「智(ち)晶(あき)、つまみ食いも命がけでやるんやぞ」
「へぇ、分かってま、頭領」
 わたしは、看守の目を盗み、こそこそと動いている。
「規則をやぶるのが、わいら監獄料理人の特権やがな」
 へいぜんとうそぶく頭領は、なにくわぬ顔だ。
 九五○人分のてんぷらを揚げながら、それにまぎれ込まして、フライを揚げている。
 作業をおえた。
 頭領について地下室におりてゆくがはやいか、二人が息をあわせ、同時に頬ばった。
 揚げ立てのフライまんじゅうは、じつに美味い。まろやかな味わいに、舌がふるえ、心がときめいた。
「頭領、いつもありがとうございます」
「懲役人生、乙(おつ)なもん。苦の中に楽ありやがな」
 獄界にも、天国があった。
 わたしは、これに味をしめた。
 つぎに狙ったのが冷蔵庫に入れてある、餡(あん)子(こ)であった。
 正月料理につかった「こし餡」のあまり分を、飯屋から借りた食(しよつ)缶(かん)に入れ、冷蔵庫に保管しているのだ。ちなみに、主食の麦飯作りに、専念するのが、飯(めし)屋(や)だ。
 わたしは、つねに冷蔵庫に出入りするので、こし餡が気になって、頭からはなれない。早出の五時、こそっと食缶の蓋(ふた)をはずしたら、こし餡にくっきりと指の跡がついている。思わずそれをまねて、二本の指でこし餡をすくいあげ、口に入れる。
 空きっ腹に甘みがしみわたり、なんともいえぬ満足感につつまれた。
                                                                         「続く」