二極化っていう言葉、良く聞きます。

 

何がどう二つに分かれているのか。その捉え方は人それぞれでしょう。

 

私は世の中を見渡して、人々をはっきりと二分する境界線を感じています。

 

それを図にしたのがこれです(マウスを握り締めた手をぷるぷるさせながら描いた図)↓

 

人が進化成長していく流れを赤い矢印で表しています。そして、心のベクトル(向き)が自分の内面に向かっている人(図上)を『内側さん』と、外側に向かっている人(図下)を『外側さん』と名付けますね。

 

この二者の顕著な差が表れるのは、何か問題が起こった時。

 

外側さんは、その問題を人や環境など、『自分以外』に原因があると考え、内側さんは『自分』に原因がある、と考えます。

 

同じ問題を前にしていても、向いている視線の方向が真逆なので、話がかみ合いません。

 

ただし、かみ合わないといっても、内側さんは外側さんの事を理解できます。何故ならかつて、自分も外側さんだったからです。

 

だけど、外側さんは内側さんを絶対に理解できません。何故なら、今まで人のせいにしてた事が、実は自分のせいだったなんて、ベクトルが外に向いている間は、到底受け入れられないからです。

 

魂を進化・成長させる為に、良い人になろう!善行を施そう!徳を積もう!ってする人が多いんですが、これは大きな間違い。

 

良い人=自分以外、つまり意識が『外』に向いてますよね?

 

善行、徳積み…確かにその分は自分に返ってきますが、心のベクトルの向きとはまったくの別問題です。自分の本質から目を背ける逃避先になりがち。良い事している間、良い人になった気がして、良い気分でいられるから。

 

最も大切なのは、内側、つまり現時点の自分。

 

そこから目を背ける=ベクトルが外側を向いている内は、どんなに修行してもこの境界線を越えられないんです。

 

だからもし成長したいなら、ベクトルを内側に向けるのが先

 

いきなりグイっと、内側に180度回転させなくても、ちらっとあれ?ひょっとして?私ってこんなん?と、ほんのすこしでも心を傾けると、加速的に進化成長が起こり始めます。

 

そうしたら不思議な事に、『現時点の自分』に関する学びに気付き始め、目の前の出来事の意味が分かり始めます。

 

もう勘弁してくれってくらいに次々とやってきます。これが本当の修行です。拒否せず、粛々と受け入れましょう。別に逃げてもいいけど、倍になって追っかけてくるよ(笑)

 

あ、そういや『気付き』って言葉的に変だ、胡散臭いっていう意見を見たことがあるんですが、それは多分この経験がないからです。

 

今まで目を背けたかった自分の内面を突き付けられ、強制的に気付かされると言いますか。だから、それを名詞にしようとすると『気付かされ』って言葉になるのかな?でも、『気付き』って方がスマート…ってのはどうでも良いとして、とにかく、起こる現象を表現しようとすると、受動的な『気付き』って言葉のほうがしっくりくるのです。

ほんとは、外側さんにも同じことが起こってるんですが、受け取り方が真逆なので、なかなかスムーズにいかないようです。宿題をため込んでる状態。

 

因みに、内側さんが外側に戻ってしまう事はありません。多少行ったり来たりするでしょうが、すぐに内側に戻ります。だって、せっかく成長したのに、昔の自分に戻りたいと思います?

 

この進化成長は、段階的に起こる人もいれば、一気に起こる人もいます。ずーっと外側にいた人が、ある日突然、境界線をぶち破って遥か先へ進化成長を遂げる事もあるので、現時点で外側だからって悲観する必要はないです。

 

優劣もありません。もし優劣をつける人がいたら、「お前、まだ幼稚園かよ。俺は小学生なんだぜ!」って言ってんだなって、思ってください。因みに、私は小学生なんだぜ!

 

しかし、外側にいる間は、いつまでたっても物事の本質を見極めることができません。わかっているつもりで、その実、ちっともわかっていないのです。

 

だって、すべての謎を解くカギである『自分(本質)』から目を背けてるわけですから。

 

ちょっと長くなってきたので、まとめます。

 

多くの物事は、一見、二極に見えても…例えば、善と思っていたら見方を変えたら悪だったり、白だと思ってよくよく見たら実は薄っすらグレーで、その全貌はグラデーションだったり、そういう感じなんです。

 

だけど、これほどはっきりくっきり二つに分かれているのは、この境界線…ていうか、心のベクトルの傾きだけなのです。(私が見つけ切れていないだけかもしれませんが)。

 

というわけで、今のところ、これが私の思う二極化です。というお話しでした。