アメリカ合衆国西海岸にあるカリフォルニア州を南下すると、メキシコとの国境に行き当たる。簡単な審査をするだけで異国の地に立て、物価が安いので買い物に行く人も多いと聞く。
日本人が異国に渡るためには、海を越えなければならないが、外国では地続きで行けるところが結構多い。頭ではわかっていても、どうもしっくりと来ない。
日本の太平洋岸に住んでいる私は、北上すると右側に海が見える。日本海は左側に海岸線を見ながら北上する。日本海に行くといつも違和感を覚えるのと似ている感覚である。
メキシコの国境の町ティワナに行ったときの話である。現在はもっと栄えているだろうが、私が行ったときは荒涼とした風景が広がる貧しい町だった。
西部劇に出てくるような町並みで、風が吹くと砂ぼこりが舞い、道路は舗装されていなかった。ウッドデッキでロッキング・チェアーが揺れているイメージで、まさに映画の一場面をそのまま切り抜いた印象であった。
そこに住む人々は陽気で、女性の着る服は色とりどりとして、殺伐とした風景に咲く花のようであった。カラフルなポンチョ売りも崩れんばかりの笑顔で愛想を売ってきた。
私たち東洋人が珍しいのか、帽子売りの少年や花売りの少女などが、売り物を押し付けること忘れて声をかけてきた。
花売りの少女は、褐色の肌に情熱的な黒い瞳、目が眩むような鮮やかな彩りの服をまとい、初対面とは思えないほどの開放感を発散させていた。
なにか土産でも買って帰ろうと散策していると、宝石屋から主人らしき人が飛び出してきた。店主がしきりに見るだけで良いから入ってくれと誘うので、宝石には興味がなかったが渋々と店内を眺めた。
メキシコは初めて来たのかとか、ここでは青い石と黒い石が名産だとか、一生懸命に説明していた。あとで知ったが青はターコズ、黒はオニキスだとわかた。
私がオニキスの指輪に興味を示すと、店主はすかさずショーケースから商品を取り出し私に持たせた。母になにもプレゼントをしたことがなかったので、この指輪を土産に持ってかえれば喜ぶのではと脳裏をよぎった。
金額が表示されていないのを不振に思いながら値段を聞くと、私の懐ぐあいを無視して法外な金額を言ってきた。私はその金額に驚き、指輪を突き返すと、店主はすかさず半額を提示してきた。私は、二度目の衝撃を受けた。
私の住んでいる町では、高いと言えば「それでは違うものを買え」と答えが返ってくるような所であったので、まさか「それじゃ半額にする」などという返事は想像もしていなかったのである。
私はカルチャーショックを受けながら店をあとにした。一緒に来ていたガイドにその話しをすと、笑いながらメキシコはそういう国だ、値切るのも買い物の楽しみだと教えてくれた。
それは、宝石店の店主にすまないことをしたと後悔し、もう一度さきほどの宝石店に入ると、店主は相好をくずして歩み寄ってきた。恐らく、私がどうしても先ほどの商品が欲しくて舞い戻ったのだろうと類推したのかもしれない。
店主はすかさずオニキスの指輪を取り出し、幾らなら買うかと聞いてきた。先ほど半額だといったのに、口の根も乾かぬうちに値段交渉とは、またも閉口してしまった。
しかし今回の私は、先ほどの私とはひと味違うことを示すごとく「エッヘン!」と咳払いをしてから、先ほどの額ではとうてい買えないことを身振り手振りで応答した。
私の態度に変化が生じたのをを悟った店主は、カウンターの席に私を誘いしきりに座るように進めた。まさに商談開始のゴングが鳴った瞬間であった。
店主はカウンターの下よりゴソゴソと帳面を引っ張りだし、希望の金額を記入せよと言うのである。
こちらの手の内を明かすわけにはいかない(というか、幾らなら買うのか決めていなかったので、少したじろぎ尻のあたりがモゾモゾとしたが)微塵も表情には出さず、先にそちらが書けと渡されたペンを店主に返すと、始めに提示した金額の10分の1の金額を書いてきた。
なんという見下げたやつだと感じたのはこの時であった。客に10倍の金額を提示しておきながら、数分後にはとんでもない値引きをしたのだ。
私は彼からペンを取り上げ、始めに提示された500分の一の金額を記入した。私が書いたのは1米ドルであった。つぎに彼は40ドルと書き、そこからは一進一退の攻防戦が繰り広げられた。しばらくは二人とも渋い表情のまま筆談が続いた。
私はメモ帳に5ドルと同じ数字を三度繰り返し、これ以上の出費を考えていないことを宣言した。最後のメモに目を落とした彼は、私の堅い決心を察知し、次の瞬間に握手を求めてき。
試合終了のゴングが鳴ったのは、開始から30分を経過したころであった。わたしは、疲労感から3時間は経過したのではと思うほどの白熱した買い物であった。
支払いを済ませた私は、なんだか申し訳ない気持ちがこみ上げてきたので、持っていた封の開いていないマルボロを一つ渡すと、彼はニッコリと笑い旨そうにそのタバコをふかした。
よい土産が出来たと思い店を出るとき、入れかわりにふくよかな婦人がニッコリと挨拶しながらすれ違った。
店を出てしばらく歩くと、こぶしを振り上げて、先ほどの婦人が怒鳴りながら店を出てきた。店から二、三歩出たところで今度は、婦人が店主と言い合いをしている姿を背にして、私はその地を離れた。




