自分の記憶に残るか残らないかの頃、とにかくいつも風邪の症状でかかりつけの医院に通いお尻に注射を打たれて泣いていた。
何度か肺炎にもなったようだ
医師が「何かおかしい」と感じたのだろうか。
その頃住んでいた市民病院に紹介状を書いてもらって診察。

もう今は他界した父から聞いたエピソード
小児科部長の診察で

先生「この子心臓が悪いんと違うかな」

父「他人の子と思って💢ええ加減なことぬかすな💢」
ってその先生の胸ぐらをつかんだらしい。

先生「俺も医者や💢ええ加減なこと言わんわ💢」

男気と責任感に溢れる医師に巡り会えた。

湾曲しているが、愛情の1つを示してくれた父。

それからまた紹介状を書いてもらって、当時心臓外科の最先端の病院へ
先天性心室中核欠損症と診断
このまま放置していれば二十歳まで生きられないと
両親にとって辛い診断結果だった

何もわからない自分は病院のベッドで車のおもちゃで遊んでいたのは覚えている
それが術前か術後かは覚えてない

病院の朱色の屋根ははっきり覚えている


心臓って握りこぶしぐらいの大きさって言われてます。
2歳児の握りこぶしって小さい
心臓には4つの部屋があって
右心室  左心室
右心房  左心房
その右心室と左心室の隔壁に針の穴ほどの欠損
すごい手術をしたんだなぁと思う

その時のカルテがその病院で永久保存されているのを、15歳の時に知ることになる
(この話はまたの機会に)




生まれた時は2400gだった
元気よく泣いていたので、保育器には入らなかったらしい

物心ついた頃には奈良市のある団地の5階に住んでいた
この団地から国道を挟んだところの神社に、今ご縁をいただいている(この話はまたの機会に)

心臓の手術を受けた頃の記憶は、怖い婦長さんと心電図を取る時のクリームの匂い

それからは転々と引っ越しが続き、小学校に入学
自分には普通でも他人には普通じゃない
それが自分の身体だと気付く
誰の胸にも手術痕がある訳無く
それが今思えば「いじめ」のようなものだった
自分には「手術痕」は有っても無くても普通
他人はそうじゃなかった
とにかく夏場のプールの時間が嫌いだったなぁ
俺の今まで1
記憶があるのは、かかりつけの医院でいつも注射を打たれて泣いていた
紹介状で大病院で診察
先天性心室中核欠損症

そこからまた紹介状でもっと大病院
2歳の中頃に当時では珍しい開心術
52年前の開心術
未熟児で生まれた自分