6月28日のことです。


しばらくブログの更新をしていませんでしたが、久々の更新はラーメンではなく神社です👍

仕事終わりで帰りがてらの道すがら……

こちらに凸

天沼八幡神社の由緒

正確な年月は分かっていませんが『新編武蔵風土記稿』によれば天正年間(1573年〜1592年)、徳川幕府を開くにあたり武勇の守護神として勧請されて、御祭神に誉田別命(ほんだわけのみこと)を祀り創建されたとつたわります。

以来4百数十年もの間この地の『鎮守さま』として長く天沼の地を護ってきました。

その後、明治40年(1907年)に四面道にあった厳島神社の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を合祀して御祭神が二柱になりました。

昭和2年(1927年)に村社に昇格して昭和52年(1977年)に現在の社殿を造営。

 ちなみに誉田別命とは八幡神のことで15代応神天皇(おうじんてんのう)と同一人物とされています。

ということで、ここは通勤で毎週通るところなのですが……

江戸幕府を開く際に風水鬼門などが緻密に計算されて設計される上で、裏鬼門として江戸城の結界ラインに組み込まれた重要な神社だったとは知りませんでした。

いやはや極々身近なところに、このような神社があるものなんですね。

最近は京都の寺社仏閣にばかり気が行っていて、まさに『灯台下暗し』ですね。

でもって今回どうして天沼八幡神社をブログにと思ったかというと。

ちょうど↑の時期で翌日の6月30日が夏越の祓なのでした。 ということで時系列で。

荻窪駅の北口から徒歩で10分かからない場所の住宅地と飲食店などが混雑する通りに、いきなり鳥居が現れます。

ちなみに、この写真を撮っている位置の左後ろの方に、ちょいちょいテレビなどで紹介されている『啓ちゃん』という人気の町中華があります。(そのうち行こうかな)

一の鳥居

ということで再度登場の写真ですが、一の鳥居です。こちらは石造りの鳥居で白っぽいのが目を惹きますね。

二の鳥居

二の鳥居は打って変わって朱色です。

手水舎

僕のブログにはよく登場する手水舎。

これも『ちょうずしゃ』『ちょうずや』『てみずしゃ』『てみずや』などなど呼び方が多いのですが、僕は『ちょうずしゃ』と呼んでいます。

ちなみに写真でも分かるように柄杓はありませんでした。

茅の輪

そして、いよいよ普段は無い茅の輪の登場です。

茅の輪は古くから6月晦日(みそか)の『夏越(なごし)の節句』に神社に設置された『茅の輪』を決められた手順通りに潜って無病息災や厄除けなどの祈願をするもので、こちら天沼八幡神社の正式な夏越祓の神事は6月30日の19時からのようです。

茅の輪の横にノムラモミジが見えたので社殿を絡めてパシャリ✨

そういえばSNSで触れましたが、当ブログでは触れていなかったのでノムラモミジについて。

僕は勝手に漢字にすれば野村紅葉かなと思っていたのですが実際には『濃紫』から来ているそうです。

この歳になっても知らないことの方が多いです😅

狛犬

茅の輪の先には参道の両サイドで睨みを利かせる狛犬が。↑の吽形玉取り

阿形子取り

狛犬の子がバッチリとこっちを見下ろすように睨みを利かせています。

拝殿 

そして再度使い回しをしますが、茅の輪越しの拝殿。

拝殿は白を基調としたモダンな佇まいです。

斜めから。

銅板葺きの唐破風屋根の奥が千鳥屋根になっています。

社紋は三つ巴紋

社殿から振り向いた図。

見えづらいですが荻窪のビルが木々の合間から見え隠れしています。

境内末社

拝殿に向かって右手に、いくつかの境内末社が並んでいるのですが、↑が1番大きなもので『須賀神社』『日枝神社』『金山彦神社』の三社で一殿になっています。

そして大鳥神社

あとは稲荷神社が。

三殿ほどあったのですが、これらは氏子さんの邸宅にあったものを引き取ってお祀りしているそうな。

西鳥居

見出しに西鳥居と書きましたが、こちらは貫石や笠石などの横石の無い状態で、注連柱(しめばしら)という珍しい形状になっていますね。

ここは前まで間違いなく横石や扁額があったのですが、どうしてこの形状になったのだろうか?

来週の仕事終わりにでも社務所で訊いてみようかな?

ということで最後は拝殿の奥側にある本殿の屋根をパシャリ✨


そんなこんなで、ご近所の神社散歩でした。

 


ではでは👋