11月27日のことなんです。
蹴上インクラインを後にして、出町柳駅でチョチョイと手続きをして(別の記事にて詳述します)。
その出町柳駅から叡山電鉄(えいでん)に乗りまして。
一乗寺駅に到着!
一乗寺駅に降りて踏切を渡ると二郎さんが。
二郎の開店までにお寺を2ヶ所まわってから、二郎さんに戻って並びましょう、というスケジュールです。
天下一品の総本店や魁力屋の本店がある白川通りを渡るとすぐに、テレビなどで取り上げられて予約が1年待ちとか9ヶ月待ちなどと言われる人気の和スイーツ『絹ごし抹茶てぃらみす』で有名な一乗寺中谷を通過。
ちなみに件の抹茶てぃらみすは店頭に行けば予約が無くても食べられますが(持ち帰りでもイートインでも)、今回はパスして先を急ぎます。
ということで一乗寺の駅から15分くらい歩いて。
こちらに到着💨💨💨
詩仙堂の由緒
詩仙堂は正しくは「凹凸窠」(おうとつか)と呼びます。凹凸窠とは、でこぼこした土地に建てられた住居という意味です。
凹凸窠の中心には江戸時代の絵師、狩野探幽(1602年〜1674年)が描いた中国の漢・晋・唐・宋時代の詩人三十六人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上には、石山丈山が隷書体(れいしょたい)にて記した漢詩が書かれています。
四方の壁に掲げた『詩仙の間』を中心としていることから現在は『詩仙堂』と呼ばれています。
※詩仙堂ホームページより
ちなみに石山丈山とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将であり文人です。
丈山の曾祖父の頃から徳川家に支える譜代の家臣の家柄と伝えられています。
小有洞の門
とにかく『ひっそり』という形容がピッタリな侘び寂びを感じる佇まいです。
その門を潜り石段を上ると受付があり開門の20分くらい前の到着で2番目に接続します。(←ラーメンレポみたいw)
そして開門時間には10人くらいは並んでいました。
嘯月楼(しょうげつろう)
こちらから入ります。
よく見ると、瓦葺きと茅葺きの屋根になっていました。
ちなみに↑の写真にある通り、入り口に木の結界があるので、順路の指示通りここの左側に進みます。
ちなみに京都の寺社の通路に竹組みや木組みのものが置かれている場合は『この先は行かないで』という意味です。
こちら側の書院の入り口から靴を脱いで入ります。
至楽巣からの庭園
建物に入るとすぐに見事な庭園が広がります。
丸く刈り込まれた緑の低木はツツジですね。
モミジの紅葉とツツジの緑のコントラストが綺麗です。
カメラガチ勢な人達も本来のお寺の楽しみ方をする人達が来る前に、ここに座って一心不乱にシャッターを切っていました。
お寺の本来の楽しみ方とは、↑の写真の前例の方のように縁側に座りのんびりと庭園を愛でる。
もちろんのことですが、こっちが本来のお寺の楽しみ方です。
ちなみに、この写真を撮っている場所が仙人の絵が飾られている『詩仙の間』です。
『とにかく写真や動画を』という人も大挙押し寄せてきたので。
詩仙の間の写真を。
何枚か撮ったり。
建物からの庭園の写真を撮り、先ほどの書院の入り口に戻って靴を履いてから庭園の方に下りていきます。
ししおどし
先ほど開門前の受付待ちをしている時から、サブタイトルにも書いてあるカコ〜ンカコ〜ンという小気味のいい音が一定の間隔で辺りにこだましていましたが。
その音の主がこの鹿おどし。
ここ詩仙堂は鹿おどし発祥の地としても知られています。ということで元祖や本店に反応してしまうミーハーなもるちゃん®︎は、ここで暫し感慨に耽っておりました😅
本当に京都のお寺や神社は、『◯◯の発祥の地』だとか教科書に出てくる誰でも知っている『歴史上の人物』に縁があったりとか本当に凄いなと再確認させられます。
この後のブログ記事の数々でも『発祥の地』や『歴史上の人物』が登場します。
その後も庭園内を写真を撮りつつまわっていると。
かわいいお地蔵さん
SNSでよく登場する、かわいいお地蔵さんが。
写真の硬貨と比較すると分かりますが、このお地蔵さんはけっこう小さくて意識して見ていないと見逃してスルーするかも知れません。
蹲踞(つくばい)には綺麗なモミジが並んでいました。お地蔵さんの頭もそうですが、開門前に、お寺の方がやってくれたのかな?
その後も写真を撮りつつ庭園散策をしていきます。
去年は12月の中旬に来て、ぶっちゃけ紅葉のシーズンは終了していた感があり『寂しい』と『残念』な気持ちがあり今年は少々(というかかなり)無理をして来ましたが、正直なところ、この時点で『頑張って来て良かったな』と噛み締めながら写真を撮っていました。
ということで、もっとじっくりゆっくりとしていたかったのですが。
予定していた時刻が近づいてきたので。
後ろ髪を引かれつつ。
詩仙堂を後にしました。とさ。
ではでは👋