そういえば国がコロナ対策で国民にマスクを配ると聞いて「それだったら(やろうと思えば)青酸カリも配れるんじゃないのか?」と思ったので。ただし毒物を無闇に配布するのは危険も大きいから(自決でなく事故や犯罪に悪用される惧れも大きい)、やり方には配慮を要するだろう。
……仮に一億三千万総自決を目指すのであれば、国として一致して最後の全力のサポートが必要であるし、国土やインフラを破壊し尽くして永遠の墓地とせねばならない。たとえば全国の原子力発電所を全部爆発させて国土全てを放射能によって「地上の冥府」とする(死しても自国を完全に領有するのは当然だろう)。自分らで破滅の道を選ぶなら、いっそ積極的にやる手もある(最終手段)。
つまり自ら日本の滅亡宣言を出し、日本国民の総意として主体的な歴史と存在の終了を選択するのである。

 

そして仮に我々がその道(主体的な滅亡終了)を選ぶのであれば、それ以前に成さねばならないことがある。
日本と日本人の国家と民族の義務として、まず第一にコリアン(南北と在日・在外、現代コリアンはシベリアの蛮族エヴェンギ族の亜種である)を責任を持って絶滅駆除せねばならない。彼らは存在するだけで人類一般に有害極まりない害獣であることは皆も承知であろう。誤って生育してしまった責任の一端は我々日本人にあるだろうから、すべからく殺し尽くさなくてはいけないし、ありとあらゆる手段を用いて根絶を実行しなくてはならないだろう(世界各国との連携が求められる)。

 

また中国に関しても、世界各国からの組織的な殺戮行為を容認するべきである(核による焼却や空中からの毒薬散布など)。中国は上古の秦漢とその後の唐宋が黄金期ではあったけれども、その三千年に渡る歴史と文明は実は既に終了・滅亡しており、現在の中国人は「遺民」でしかないのが本当のところである。
……なぜならば三国志時代に人口の七割を喪失して(移民と混血で補い)、二つの黄金期には人種的・民族的な断層があるし、その後にも歴史的に破壊されている。宋の後の元(モンゴル)は徹底的な植民地支配によって物心両面を破壊し尽くしたし、その後の清王朝もまた満州族の支配でしかなかった(中国人が版図を広げたのではなく、中国本体は広域連合政権の一部・一種の植民地でしかなかった)。今の赤色中国は結局は、それら過去の文明の残骸と(悪徳が凝縮している)成れの果てでしかない。しかも日本への欺瞞詐術と侵略だけでなく、世界全体へも類似の悪行を繰り広げ(モンゴルや清の粗暴と侵略政策に似る)、ついにはコロナウィルス散布によって全人類へのバイオテロを実行した。
現在の中国は周囲・他国に危険かつ有害なのみならず、本人たちも悲惨である上に、限界を超えた少子高齢化の急進によって既に未来はない。腐敗によって倫理は崩壊し、資本も技術も蓄積されず、自ら新しい建設的なものを生み出す能力はもはやない。どの途救いはないのだから介錯(虐殺)はかえって救済ですらあるかもしれない(この点はコリアも同じである)。

なお、私としてはアフリカや南米でのコロナ被害については、あまり心配していない。彼らは(中国などと同様)無責任・無計画な人口爆発を起こしながら、自国すら満足に統治できない。先進国に悪質な移民と犯罪を輸出している有様であるから、欧米が内心で見捨てたとしてもやむなしと感じる次第である。


ともあれ、共産グローバリストのマフィア勢力によって、正義や人道主義の価値が損壊し、見直しが求められている。

そして日本は戦後七十年にわたる「無自覚の植民地」状態によって、中国と同様の「文明衰亡のスパイラル」に陥りかけていることを自覚しなくてはいけないだろう。

……付言すれば、日本の国家統一が後漢王朝の頃だとして(このブログの「『豊後国風土記』読解」などの記事を参照)、人種的には古代中国人を形成した原種族のうち二つ「東夷」「南人」と共通する血筋がルーツだと思われる(※白川静の『中国の神話』など参照、中韓は流入した北方民族の血が濃い? 台湾は南人+各時代の中国移民?)。ゆえに日本と中国は東西のローマ帝国のような間柄であり、中国・韓国を父祖のように考えるのは間違い(そもそも現代コリアンはエヴェンギ族であり、古代朝鮮とは人種が大きく異なる)。古代の過去に先進地帯ではあっても、それを過剰・偏重的に中心として考えるのは、プロパガンダと古い固定観念のせいではないだろうか。

日本の国と文明の盛衰について、多少なりとも一国一文明の土地柄の自覚を持つべきかと思われる。


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現実的には「安楽死制度」の制定が問題である。
今後の世界(直接的には我が国・日本)が既に重篤に損なわれ、「生きていかなくて良く、育たなくて良く、生まれてこなくて良い」ような時代なのだとすれば、それ相応にやるしかない(言い方は極論だが、現在と未来は深刻ではあるだろう)。
……むろん、長寿と健康、そして幸福であれば、それはそれで良いことではあるけれども。
これも考えようで、孤独死や無軌道な自殺に比べればベターであるし、一定限度を超えた病苦や窮状から救済する手段でもある。また、本人の苦痛が少なく尊厳も守れるような手法を考えなくてはいけない。そして希望者が安楽死を申請した際に、より良い別の解決策を提示できる可能性もある(五分五分だろうが)。
ゆえに一定の年齢以上(四十歳程度?)の者に数年置きにでも定期的な案内を出し、一つの選択として認知させるのが望ましい。また、それによって浮いた国費は新しい世代の育成のために活用されなくてはならないだろう(そのことが本人にとっても救いの一つとなる)。

 

もちろん反社会勢力などの構成員・関係者や常習的犯罪者など(在日外国人を含む)には、よりいっそう積極的に安楽死選択を提示・推奨していく必要がある(必須)。これは死刑と同様に、精神的・物理的な「最終救済」という側面を持つことも忘れてはならない(重すぎる前科を背負ったり、常習犯罪しながら生きるよりは、あるいは死が望ましいか?)。