光明行のレッスンに入られた生徒さんに、まずは簡単なアナリーゼからスタートいたしました。
曲について説明するために私がすることは、中国のサイトで文献を読み漁ること。
同じ曲でも違う解釈の部分なども調べること。
日本語の資料があるものでも極力自力で調べるのです。
なぜなら中国語学習のためにもなるから。
自力で調べたことは頭にしっかり残るからです。
辞書と拡大鏡(老眼に乱視)片手に必死で読み進め、新たな知識を得た時の喜びは大きいものです。
劉天華の曲はもう何度も何度も聴き、練習し、曲の分析もしたつもりです。
でも調べるたびに新たな“気づき”があるのは確か。
生徒さんのためにすることが、結局自分のためになる。
一石二鳥ですね。 いや…それ以上かもしれません。
別な生徒さんには劉天華など古典的に有名な曲が好き、練習したいと言われているので、どんどん調べ学ばねばなりません。
忙しくも楽しいことです。 知識はどれほどあっても邪魔にはなりません。
場所をとらない財産です。
さて、朝の勉強タイム。 二胡のための財産増やしを頑張りましょうp(^_^)q