わたしの世界観まとめ記事はここから


前回の話

 

 



35歳、
ホームヘルパー2級を取得するため

(現在は介護職員初任者研修です)

障害者施設を辞め、
教育訓練給付制度というものを使って
学ぶことにした私の超短い学生生活中、

長女の中学の卒業式のため
届出を出し、学校を休んだ
2011年3月11日のあの日の話。


あの日の次女の話。

当時、まだ4歳だった次女は

あの巨大地震の瞬間は
保育所のお昼寝の時間だった。

そんな
世の中が大騒ぎになる
地震の瞬間の記憶は全くないらしい。



生まれた時から

ちり紙交換の車や
ゴミ収集車、灯油配達の音楽などが

外から聞こえただけでも
ビクッとして周囲にいる
誰彼構わず飛びついていく・・・

これが急にドカッとくるから
飛びつかれる方としては
不意に食らう頭突きのようで
(実際に頭突きも食らう笑)
軽く事故に遭ったようなものだったりする。


保育所の豆まきでの鬼の登場や
クリスマスでのサンタの登場

それらが恐怖でしかなく
安心を得るために
その時に飛びつきの犠牲になっていたのは
パートのベテラン保育士さんだった。



そんな
かなりの繊細さがある次女にとっては

お昼寝の時間で気づかなかったのは
不幸中の幸いだったと思う。

もしもその瞬間の記憶が残っていたのなら

きっと現在でも
結構なトラウマになっていたはずだから・・・


そんなあの日の次女は
相方が迎えに行った時には

園児のお昼寝中の大地震で
子供たちを守ることに必死だった
先生たちの車の中にいた。

保育所だから
バスなんてない。

車は先生たちの自前の通勤のための車。
全員の先生が車通勤だから、

それぞれの車に数人づつの
子供たちを乗せて

パジャマのままの子供達が
寒くないように毛布でくるみ
車の暖房をつけて

各自の親が迎えに来るまで
大切に守ってくれていた。

その後、ガソリンなんて
しばらく手に入れるのが
すごく大変になるのに・・・


そして、保育士さん自身も
お子さんがいる方もたくさんいたはずなのに

勤務中での巨大地震、

まずは目の前の子供たちの命を
大切に考えてくれた。

尊敬とともに
本当に感謝しかない。

こんな素敵な保育所に
長女も次女もお世話になったこと
本当によかったって思う。

そしてまだ小さな次女は、
先生の車に乗って楽しかったこと、

どうしてパジャマなのか
よく覚えていないこと

そして、その後、相方が迎えにきて
なぜかおうちの中がグチャグチャで

お父さんと車でおにぎりを食べて
楽しくて美味しかったこと


そんな記憶しかないと言う。


彼女にとって、あの日、
とてつもない巨大地震で
ほんの数キロ離れた場所で
津波で家も街も一瞬でなくなり

たくさんの人が被害を受けたことは

昔あった歴史の中の出来事で
教科書で見てもあまりピンとこないと言う。


それでいい。

繊細すぎる彼女には
生きていく上で
それでよかったのだと思う。


あの日の次女が
あの瞬間、眠っていたこと。

怖い記憶がなくて本当によかったって
自分の子供がかわいい親の気持ちとしては
そう思うのだ。



後に沿岸部の保育園の悲惨な話を
たくさん聞いて、

私たちの住んでいる地域は
こんな感じだった・・・

特に何もなかった・・

そんな発言が公にできなくて。。。


ごめんなさい。

同じ県内でこうして
全く違う結果になっていて

今でも

本当にごめんなさいと
複雑な思いでいっぱいになってしまう。


でも次女が今も元気にトラウマもなく
生きているのは

あの日、あの瞬間先生たちが
守ってくれていたからだって思う。


続く