こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回は小児喘息だった私の話

【わたしの世界観6】





小学校低学年の頃、
当時の記憶はあまりないんだけど、

かすかに残る小学校3年の記憶。

今回はそこから書いてみようと思います。


担任の先生が産休に入るので、
代わりの先生がやってきたんですよね。

若いお姉さんの先生。


担任の先生も竹の棒を持っている割には

(昭和の先生ってみんな
ボロボロの竹の棒持ってましたよね笑)

優しくて大好きだったんですが、

若くて素敵なお姉さん先生が来て
クラス全員が先生のとりこになりました。


なぜか教室の中で縄跳び大会が
毎回繰り広げられていたのを
めちゃくちゃ覚えています。


当時の縄跳びの花形は
二重跳び、三重跳び・・・

ハヤブサって呼ばれてた
あや跳びの二重回しバージョン。

それらができる子供たちは
みんなの憧れでした。


私は・・・
喘息で体育も見学しがちだったけど、
元々の運動神経も

あまり良くなかったんで

(あまり・・・じゃないな、
全くの運動音痴、リズム感もないから
縄跳びは超できない・・笑)

私には二重跳びなんてできなかったけど
それでも一番簡単な前跳びは
なんとかできていたんですよね。


グループに分かれて
各種目で
(前跳び部門、ハヤブサ部門みたいな)

どれだけ長く飛び続けられるか?っていう
超単純なルールで競い合うんだけど、


先生の雰囲気でクラスがまとまっていたのか
なんなのか・・・・


毎回グループは変わるんだけど、

・小児喘息で耐久力がゼロ
・運動音痴で戦闘能力ゼロ

そんな私がこの縄跳び大会が
「楽しい」思い出になっている。


普通なら、
”お前がいるとうちのグループがビリになる”
だの、

”こいつ下手じゃん”
だの

言ってくるような悪ガキが
大抵1人はいそうなものです。

それが、子供の正直さでもあるし
残酷さでもあるんだけど。

誰一人として
そういう人がいなかったんですよね。



「楽しい思い出」として
今も残っているのは


この素敵なクラスメイトたちから受けた

誰も批判する事なく
すごく優しくて気遣える

ちょっと長く飛べただけで
「すごいね」

そうほめたり、認めてくれる


このことが
とても大きいんだと思います。

(今思えば奇跡のような子供たち)



その時のクラスでは
産休の先生が3学期に戻ってくるとき

当然、代わりの若いお姉さん先生は
学校から去るんだけど、

先生に内緒で
クラスみんなでお別れ会を企画して

手作りのプレゼントを渡したんですよね。



そして・・・
衝撃の事実がありました。



だいぶ後にわかった事なんだけど
(中学生くらいの時に片付けしてて
文集や先生からの手紙を見て知ったんだけど)


私と当時一番仲良しだったYちゃんが
企画の言い出しっぺだったって事が判明。


ずっとずっと、私は小さい頃から
内向的でひとみしりで
前に出るようなタイプじゃないって
思い込んでいたけど、

そうじゃなかった。。。

そういえば、この
小学校低学年の頃は

学校から帰るとき
いつも違うお友達と帰ってて

色んなお友達の誕生パーティーで
満面の笑みで
Vサインしてる私の写真が残っているのです。


当時は何も考えず、
話したい、一緒に何かしたい

そんな自分の気持ちに正直で

誰とでも繋がりを持つ事が
できていたんだなぁと思います。

本来の私は・・・

振り返ると、
この小学校3年生にいるのかもしれません。。。


【わたしの世界観8】へ続きます