えー、わたくしめは基本、金銭的余裕がありません。
給料がやっっすいので、必然的に質素な暮らしです。
基本、服はほぼ買いません。いや、買えません。
だってさ、高いよね?どう考えても。なんでそんなに高いんだ?
1枚数千円は平気でするじゃない?たまに万とかいっちゃったりするじゃない?
そんなん、ポンポン買ってられっか!!
と思ったりするんだけどもね。
とかいいつつ、
ポンポン買える、その経済力と金銭感覚はものっすご憧れの眼差しで見てるんだけどね。
買えて、千円まで。
それでも、おそらくかな~り悩んでから。
即決限界は500円から、700円。めったにないけど、たまにあるんすよ、掘り出し物って。
そんなわたくしめも、一応、女なんで、多少はカッコに気は遣うのですよ。
かわいい服とか、キレイな服とか、いいな~、と思う服は着たい訳ですよ。
オシャレだってしたいんですよ。人並みには。
でも”服”という、その物体のどこにそれの金額の価値を見出したらいいのか、途方に暮れてしまうような金銭感覚に育っちゃってもう30年。
そんな相反する2つの要素を、溶け合わせ昇華してくれるものといえば、そう、
フリマ。
フリマがあるから。服を普通に買えない女になってしまったんです。
だって。
数百円でそこそこじゃない。むしろ、全然いいじゃない。
いや、数百円の金額を余裕で凌ぐ価値ですよ。大活躍ですよ。
スタメンどころか、私のたんすは、ほぼ全フリマ出身。
別に誰かが着てたなんで、ワキに汗沁みでもない限り、気になるもんでもないし。
大概売ってる人が着てるし、大概普通にカワイイ女の子が着てた物が欲しいんだし。
カワイイ服を、おっさんが着てた、なんて確立はほぼゼロに等しいんだし。
お洋服の販売ルートからは明らかに外れてしまったわたくしめだけど、
ポンポン高い服買って、フリマでポンポン売って、
またポンポン買う、というサイクルを繰り返している女の子が沢山いるという現実が
こういう形で循環していると思うと、
服を買えない私でも、サイクルには参加しているんだな~、と
勝手に連帯感を持ってみたりする。
給料がやっっすいので、必然的に質素な暮らしです。
基本、服はほぼ買いません。いや、買えません。
だってさ、高いよね?どう考えても。なんでそんなに高いんだ?
1枚数千円は平気でするじゃない?たまに万とかいっちゃったりするじゃない?
そんなん、ポンポン買ってられっか!!
と思ったりするんだけどもね。
とかいいつつ、
ポンポン買える、その経済力と金銭感覚はものっすご憧れの眼差しで見てるんだけどね。
買えて、千円まで。
それでも、おそらくかな~り悩んでから。
即決限界は500円から、700円。めったにないけど、たまにあるんすよ、掘り出し物って。
そんなわたくしめも、一応、女なんで、多少はカッコに気は遣うのですよ。
かわいい服とか、キレイな服とか、いいな~、と思う服は着たい訳ですよ。
オシャレだってしたいんですよ。人並みには。
でも”服”という、その物体のどこにそれの金額の価値を見出したらいいのか、途方に暮れてしまうような金銭感覚に育っちゃってもう30年。
そんな相反する2つの要素を、溶け合わせ昇華してくれるものといえば、そう、
フリマ。
フリマがあるから。服を普通に買えない女になってしまったんです。
だって。
数百円でそこそこじゃない。むしろ、全然いいじゃない。
いや、数百円の金額を余裕で凌ぐ価値ですよ。大活躍ですよ。
スタメンどころか、私のたんすは、ほぼ全フリマ出身。
別に誰かが着てたなんで、ワキに汗沁みでもない限り、気になるもんでもないし。
大概売ってる人が着てるし、大概普通にカワイイ女の子が着てた物が欲しいんだし。
カワイイ服を、おっさんが着てた、なんて確立はほぼゼロに等しいんだし。
お洋服の販売ルートからは明らかに外れてしまったわたくしめだけど、
ポンポン高い服買って、フリマでポンポン売って、
またポンポン買う、というサイクルを繰り返している女の子が沢山いるという現実が
こういう形で循環していると思うと、
服を買えない私でも、サイクルには参加しているんだな~、と
勝手に連帯感を持ってみたりする。